元イジメられっ子の保険屋が教える二学期にやってみて欲しいこと





「へぇー、意外」

とよく言われるが、私は子供の頃、イジメられることが多かった。

図体はデカいが気が弱い。

かと言っておとなしいかと言うとそうでもなく、家が金持ち(当時は)だったのを良いことに、どこかそれを鼻にかけて、人を見下したようなところもある。

見た目はジャイアン、中身はスネ夫と言う感じで、有り体に言えば

いけ好かない子供

だったのだろう。

それがイジメっ子の目にとまり様々な嫌がらせを受けた。

特に親の事情で、

小学校5年生の2学期から

という「『超』中途半端」な時期に転校した後は、あるグループからトラウマになるくらい激しくイジメられた。

親にも言えず一人部屋でシクシク泣いていると、家で飼っていた柴犬のゴローが近寄ってきて、涙をぺロペロと舐めて慰めてくれる。

そんな漫画のような一場面を実際に経験してきたのである。

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さて、新学期が始まる9月1日(今年は9月3日が始業式)は子供の自殺が一番多い日らしい。

イジメられている子が「また地獄の日々が始まる」と鬱になり、自らの命を断ってしまう。

そのようなニュースが流れると、

「何も死ななくても・・・」

と、テレビではコメンテーターが苦悶の表情を浮かべるが、あの人たちは何もわかっていない。

思わず死を選びたくなる気持ち。

経験者である私にはそれが分かる。

あれはガチでキツイ。

世界の全てが自分を否定しているような気になって、悲しみで心が一杯になってしまう。

が、私はこのイジメを克服した。

その時に身に着けたメンタリティや手法は長じてからも役に立っていて、むしろ「あの経験があって良かった」とすら思っている。

本日はそんなお話をしたい。

なお、「私の場合は上手くいった」というだけで、万人に当てはまるようなものではない。

あくまで参考までに聞いて頂ければ幸いである。



まず、イジメに関して、悲しいほど強烈な事実を認識するべきだ。

このことに気付いている人も多いはずだが、メディア等で誰も指摘する人間がいない。

それは、

イジメは超楽しい(イジメる側にとって)

ということ。

子供の世界では、これに勝る娯楽はない。

この娯楽を追及するために、イジメる側も意外と地味な努力をしていて、日々のルーチン的な無視や嫌がらせをこなしつつ、イジメ仲間が飽きないようサプライズ的な「イベント」も組んでくる。

言わば「ドッキリ」のような企画を立てて、イジメられっ子がそれにまんまと引っかかり、傷付き、周りが爆笑できるように入念な準備をし、そしてイジメはエスカレートしていく。

アイディア、計画力、実行力が必要で、相手も「本気」でイジメに来ているのである。

だからこそ、こちらも「本気」で戦略を練らないといけない。

要点は3つある。

① イジメっ子は敵だと「覚悟」する!!

② 奴隷より子分になれ!!

③ 逃げるが勝ち!!

順を追って説明していく。



① イジメっ子は敵だと「覚悟」する!!

我ながら変てこな文章だが、「敵だと思う」ではなく、「敵だと『覚悟』する」のだ。

「思う」だけではダメで、「覚悟」のレベルまで煮詰めないといけない。

イジメられたことがない人にとっては「当たり前だろ」と思うかもしれないが、はっきり言って、これが一番難しい。

イジメの何が悲しいって、元々は友達だったのにある日突然無視されたり、悪口言われたり、意地悪されたりすることである。

もちろん相手を憎く感じるし、腹も立っているのだが、それでも人間は不思議なもので、どこかに「分かり合いたい」という願望がある。

特にイジメられるような気が優しい子は、謝ってくれれば全てを水を流して元の友達に戻りたい、もしくは自分に非があるなら謝りたいくらいのことを思っている。

が、それは大間違いである。

「イジメ」が発生した以上、もうそれは戦争で、昔の友であっても「敵」である。

温情をかけている場合ではない。

許すことも、許されることもない。

そしてもう二度と仲良く遊ぶことはない。

それが「覚悟」なのだ。

そして、その覚悟が決まれば、何を言われても意外と傷付かない。

ゲームでも現実社会でも敵が攻撃するのは当たり前だからだ。

でもこの「覚悟」を決めるのは言うほど簡単ではない。

子供の頃の私も、なかなか割り切れず「いつかは、また・・・」という幻想を繰り返していた。



ではこの「覚悟」はどれくらいで固まるのか?

それは人それぞれとしか言いようがないが、私の場合はだいたい3カ月くらいかかった。

我慢の限界が来て「あいつらは敵だ」と火が付く瞬間がある。

この「精神の逆切れ」が発生するまでは、ジワジワと耐えるしかない。

なお、よく勘違いされているが、親が「戦え!!」とか、「言い返せ!!」とか発破をかけるのははっきり言って逆効果なので、止めた方が良い。

その瞬間は高揚感に包まれ「なにくそ!!」という気分になるが、外部の燃料で燃え上がった炎は長続きしない。

むしろその反動で「やっぱり無理だよ・・・」と極度に火が小さくなる。

あくまで自分の炎を、自分で「育てる」ことが大事で、周りは種火を消さないようにフォローするくらいで良いのである。

悲しいがこれは戦争で、相手は「敵」

イジメを克服するには、何をもってもこのメンタリティを身に付けないといけない。



② 奴隷より子分になれ!!

覚悟が決まれば、次に戦略の話になる。

ここでは、イジメられている状態を「奴隷」、権力者に擦り寄った状態を「子分」と定義している。

結論から言えば、私が毎回イジメから逃れた方法はこれだし、学校だけでなく、会社や部活や様々な組織で広く使われている手法だ。

イジメを行うような奴はだいたいが、クラスのボスか、中ボス程度の奴であることが多く、それが格下の数人と徒党を組んでいる。

しかし、そのグループには対抗する別のグループや、もしくは歯が立たない「上部団体」がある。

クラスどころか、学年全体のボス的な存在が率いる「トップチーム」的な集団がいて、それに比べれば、イジメっ子グループは歯牙にもかからない。

そして、学年全体のボスは「良い奴」であることが多い。

とは言え単純に良い奴でもなく、好き嫌いが強かったり、少々乱暴だったり、要は「個性的」なのだが、妙な意地悪さはなく明るい。そうでないと学年には君臨出来ないのである。

ちなみに、だいたいこういう子のお父さんは建設関係か運送関係だ。

こういう子を落とせ!!

この元イジメられっ子はそう言いたい。

ドはまりしなくても、その周りにいるだけで良い。

また、軍団のボスでなくても、その若頭、もしくは若頭補佐クラスと近くなるだけで、イジメがなくなる確率は高い。



その方法は3つ。

褒める、笑う、貢ぐ

学年のボスだろうが、所詮は子供。

褒めまくって、相手の言ったことに大げさに笑い、そしてほんのちょっとだけ貢げば良い。

「貢ぐ」ということに対して、「いや、それはちょっと・・・」と難色を示す親御さんもいるかもしれないが、ここでは目をつむって欲しい。

なんせ、こっちは戦争中。

平常時のモラルは通用しない。

権力者に庇護を求めるのに手ぶらじゃマズいだろう。

漫画とかお菓子とかゲームとか、多少の献品は必要だ。

もちろん、それがあまりに高額になればイジメがカツアゲに変わっただけで、これもこれで良くあるパターンだが、うーん、どうだろう。

「週に300円~500円」

あくまで個人的な感覚だが、これくらいの出費は仕方ない。

これは戦略的な投資なのである。

言わば保険料みたいなもんだ。

こうして、権力者やその周りと「仲良い感じ」を演出する。

子供のバランス感覚は相当なもので、小学校高学年になれば大人のそれと変わらない。

会社でも偉い人と親しくなっただけで、今まで散々意地悪してきた先輩が手のひらを返したような態度に変わることがあるように、同じようなことが学校でも起こる。

そもそもイジメっ子自体が自分に自信がない子が多いので、だからこそ、このあたりのパワーバランスには非常に敏感。

勝手に自動ブレーキシステムを作動させてくれるのである。



なお、私の場合、この作戦が功を奏し、学年のヒーロー的な人物にドはまりした。

その理由は、私の持つ品格と知性が彼のリーダーシップと共鳴した。そう言いたいところだが、実際のところは私が親に内緒で隠し持っていたエロ本を披露しただけで、その結果、彼から

「加藤先生!!」

と下にも置かない扱いを受けることになり、それが私の学校生活を救う。

イジメはピタッとなくなった。

それどころかイジメっ子から「色々ごめんね」的な謝罪まで受けた。

子供ながら「世の中こんなもんか」と思ったが、これを原体験として

「トップにハマれ!!」

「そのためには手段は選ぶな!!」

というのが私の成功パターンとなったのである。今も保険屋として同じことをやっていると思うと少々悲しくもあるが、まあ、それは良い。

奴隷でいるより権力者の子分になれ!!

このやり方はきわめて現実的で、かつ即効性がある。

出来れば上部団体、それが無理なら対抗団体に近づく。

たとえそこにハマれなくも、「近づく」だけで効果がある。

なんせ、イジメ子はその種のセンサーが敏感なのだから。



③ 逃げるが勝ち!!

覚悟と戦略。

その2つが大事であることを述べてきたが、実際問題としてどうにもならないことがある。

頭で理解していても、行動に移せるかは別問題だし、「学年のボス」がイジメの元凶だったりすると、あまりに敵が巨大過ぎて対抗できない。

もはや北朝鮮にいるようなものだから、個人の力ではどうしようもないのである。

そんな時はせめて「弱音」を吐いて欲しい。

親や先生に助けを求めて欲しい。

しかし、これも勇気がいることだ。

でも、ギブアップと宣言することは恥ずかしいことではないし、誰にだって限界はある。

イジメもいつまでもガマンできるものではない。オシッコと同じだ。

漏らすよりは、トイレに駆け込むべきだ。そうは思わないか?

しかも、イジメのガマンはオシッコをガマンするのと同じくらい意味がないし、しかも体に悪い。

「俺、オシッコ8時間もガマンしたぜ!!」

と言ったところで、誰も凄いとは思わないだろう。

「トイレに行きたい」と言うのと同じくらいの感覚で、「ちょっと学校辛いかな」と言って欲しい。

流石にトイレほどは気軽ではないが、今は昔より転校も簡単に出来るし、学校に行かなくても勉強する方法もある。

注:文部科学省の指導により、「イジメ」が原因の転校は「柔軟に対応するように」と通達されている。

「逃げるが勝ち」

その勇気を持てた段階で「勝って」いるのだ。



さて、幼少の頃の苦い記憶のせいか、随分と長文になってしまった。

こうして読み返してみると我ながら月並みな話を羅列しただけで、何の参考にもならず恐縮している。実際のところ、この手の問題は非常に難しく一筋縄では行かない。

大人になったって「合わない人」との対応に苦慮するのに、遠慮のない子供同士、しかも学校という狭い世界では尚更だろう。

お客様や友人、知人からお子さんのイジメに関する悩みを聞くことがあるが、いわく学校も先生あてにならないし、イジメを行っている方の親もちゃんと対応しないどころか、だいたいは問題のある家庭が多いらしい。

しかし、これまた月並みな結論だが、過去と他人は変えられないが、未来と自分は変えられる。

もし昔の私と同じく、学校生活に苦しんでいる子がいるのであれば、新しい学期、「何か」を変えて欲しい。

子分になっても、逃げても、勇気をもって決断したことを責める人はいないのだから。

本日のコラムでした。


 

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8月 31st, 2018 by