多くの死を見た保険屋が「父の死」について感じること


5月2日。

父が永眠しました。

本日は保険屋として多くの方の「死」と「死後」を見た私が、初めて当事者として最も近い肉親を亡くした時に感じたことを書きたいと思います。

父は、もう10年以上、認知症を患ってました。年齢も85歳。

だから大往生ですね。

しかも半年前から体調を崩して入院、3週間前に意識がなくなり、

「下手をすれば今日、明日」

という状況が長かったので、私も含めた家族は心の準備が出来すぎるくらい出来ていて、ショックはショックですが、何と言うか

「来るべきものが来た」

という感じ。

母や妹は泣いていましたが、私自身は臨終からお葬式まで涙は一滴も出ず、ただただ

「お疲れ様でした。」

という気持ちで一杯でした。

性格もあるんでしょうね。

なんかね。泣けない。人が見てるところでは。

それと職業上、葬儀社の手配、近親者への連絡、精進落としの会場の手配など「死後にやるべきこと」を理解しているので、

ここで活躍しなけりゃ、俺、いつ活躍すんの?

という気持ちが強くて、細々したことや親戚の方々の応対をしているうちに、お通夜、告別式となりました。まあ、ある種の職業病ですね。

そんなわけであっという間に、父はこんがりとお骨になっちゃって、

まあ、こんなもんか。人間死んだらあっけない。

というのが感想。

父が意識をなくして、危篤状態になったこの3週間。

暇を見つけては2,3日おきに顔を見に行っていたのですが、亡くなった当日、私、大腸の内視鏡検査の予約入れてたんです。

これは1ヶ月以上前から予定していたことなんですが、検査当日って強烈な下剤飲むんですよ。

10分置きにトイレにいって、最後には綺麗な水みたいな便が出るまでやらないといけないんですが、父が死んだのは、その下剤が一番効いてる時。

母から

「もうダメみたい。すぐ病院来れる?」

という電話がトイレにいる時に入って、来れる?って言われても、お腹ピーピーだし、今、電車や車に乗るのはちょっとなぁ~と思ったのですが、流石に駆けつけないわけにもいかない。

病院にキャンセルの電話を入れて、何とか家を出たら、すぐに再び母から電話がかかって来て

「今、亡くなった」

と。

おい!!何だ!!このタイミング!!人が下痢で苦しんでる時に!!

思えば幼少の頃から何事も勝手な人だった。。。。

コテコテの中小企業の社長として、切った張ったの商売。家にはほとんど帰ってこない。

たまに帰ってくれば、ベロベロに泥酔。

お土産に浅草の中華の名店「龍王」の餃子を買ってくるが、すでに夜中の1時、2時。

gyouza

私も妹も当然寝ているのに、どうしても子供たちに食べさせたい父は、私たちを乱暴に起こし

「お前たちの好きな龍王の餃子だぞ!!食え!!」

とやる。

夜中に強制的に起こされて、いきなり餃子。

バラエティの罰ゲームじゃあるまいし、今から考えてもムチャクチャだが、かと言って、少しでもふてくされた態度を取れば「可愛げがない!!」と猛烈に怒る。

そう、とにかく怒るの、この人。

何かと言えば、烈火のごとく怒り、怒鳴り、手も出る、足も出る。

一緒に外出しても、いつ導火線に火がつくか周りはヒヤヒヤ。

一度怒れば家族だけでなく、店員にも、そこらへんを歩いている人にも絡む。

子供心にも父は「厄介な人」で、そのため、あまり会話らしい会話をしたこともありませんでした。

父は最後まで己のスタイルを崩さず、この世を去ったわけです。

しかし、そんな厄介者でありながら、周りには不思議と人が集まる。

仕事仲間、友人、後輩と、連日遊び歩き、派手に稼ぎ、派手に使う。

ある時など、家に父と一緒にビートきよしが帰って来て、当時、相方のビートたけしさんは「俺たちひょうきん族」で人気絶頂。

kiyoshi

「たけしは無理だが、きよしを連れてきたぞ!!」

と、自信満々に言う父に気を使って、私は内心、たけしでないことに落胆しながら、

「きよしさん、大ファンです!!」

と満面の笑顔を作るわけです。

今思えばこの頃から人の顔色に敏感な今の営業スタイルが確立されたのかもしれません。

とは言え、家に人気タレントが遊びに来たり、亡くなった横綱千代の富士とよく飲んでいたり、今となれば当時の父の人脈の広さが分かります。

横暴で、強引。

反面、人を喜ばすことが大好き。

時に自分が思い描いていた反応と違う反応が返ってくると、ぶち切れて周りを白けさすこともあるが、本心は愛情深い。

その人間としての「振れ幅」が人を惹き付けたのかもしれません。

それが父、加藤佶也という男なのです。

享年85歳。

昭和の戦前、戦中、戦後に青春を過ごし、高度経済成長期の日本で暴れまわり、晩年は人に騙されて多くの財産を失い、最後はボケて、死という恐怖からも開放されて、この世を去った父。

悲しくもあり、寂しくもありますが、一人の男の壮大なドラマが終わり、私はそこから多くを学び、そしてそれを見届けたのです。

「死後のプロ」である私の見事な仕切りで、式も滞りなく終わり、生前の徳なのか不徳なのか分かりませんが、歳のわりには多くの香典が集まりました。

元気だった頃に何よりも好きだったお金を遺影の前に積み上げ、写真の中の父はこう言ってくれるでしょう。

「よくやった!圭祐」

と。

syasinn

おやっさん本当にありがとうございました。そしてさようなら。

本日のコラムでした。



 

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5月 13th, 2017 by