朝5時。
テレビ東京の朝のニュースが、トランプが仕掛けた関税戦争が引き金となり、前日夜中の海外マーケットで円が3ヵ月ぶりに108円台を付けたことを報じる。
「引き続き円が強気で買われる。」
アナリストが今日の動きを予想する。
そんな情報を耳で聞きながら、父は「今日の動き」について思いを馳せる。
上は1から2。しかし、暴騰した場合4もある。下は1か1.5、いや場合によっては0も。
上下の合計は、最大5.5から最低1。
5.5倍のリスクの中間点をどこに取るか?
もちろん、為替でも株の話でもない。
いなり寿司の話である。
話は前日の夜にさかのぼる。

「明日のお弁当は何が良いの?」
妻が上の娘にそう問う。
しかし作るのはこの父である。
我が家の食事を作るのは父の仕事。その中には子供の弁当も、ついでに妻の弁当も含まれる。
こんな話をすると「偉い!!」とか「イクメン!!」などと言われるが、ただ単に料理が好きで、言ってみれば唯一の趣味。別に褒めらるほどのことでもない。その代わり、嫌いな洗濯や風呂掃除はほとんどやらない。
なお、妻の名誉のために言っておくが、父が不在の時はもちろん、前夜飲み会などで遅くなった時などは彼女が弁当を担当する。そしてその腕前も決して下手ではない。
つまりは、料理を譲ってもらっているだけ。そう謙遜しておく。
話を続ける。
母の質問に、娘は声高に言う。
「いなり寿司!!絶対いなり寿司!!」
横では下の息子が、首を縦に振りうんうんと頷く。
と言うことで、早朝からいなり寿司を作る羽目になる。

油揚げに湯通しをして、醤油、みりん、砂糖、水で煮る。煮切った酒を少々加えるのが加藤家の伝統。
ご飯を固めに炊き、刻み生姜、ゴマ、そしてすし酢をまわしかける。
何度もやっている手順を頭の中で確認しつつ、そして冒頭の難問にたどり着く。
さて何個作るべきか?
娘の弁当用は2コ、妻の弁当も3コで宜しかろう。これで5は確定。
しかし、いなり寿司においては「5コ作る」というのは意外と難しい。
たった5コのために油揚げを煮るのも、その分のすし飯を作るのも効率が悪いし、少量を作ろうとすると何故かまずくなる。
そのため、作るなら10コが最低単位となる。
10をさばくには、弁当だけでなく朝食用としても供さないといけないが、その量が読めない。
上の娘の食欲は常に安定していて、アベレージで2。調子が悪ければ1。逆に「食欲無双」が発動すれば4もなくはない。と言うことで1~4。
全く分からないのが下。
機嫌次第で全く食わないかと思えば、アメリカの囚人のようにトントンと皿をテーブルに叩きつけて、激しくお代わりを要求することもある。こちらは0~1.5。
そのため、両者を足して、最低1から最大5.5という「幅」が出るのだが、弁当用の確定5と合わせて10作っておけば、足らないことはないだろう。
もし残っても3,4コなら妻と自分で手分けをすれば美味しく頂ける。
「よし10だ」そう計算して調理にかかる。
その他、おかずも揃えて、全てが完成した7時ごろ。
妻と子供たちが起きてくる。
しかし様子がおかしい。
「何か熱があるみたい。」
妻が娘の体温を測る。37.5℃。
更には、気持ちが悪いと言い、お茶を飲んだだけで嘔吐してしまう。
おまけに妻も「何か私も、吐き気が」と。
先週、下の息子が保育園から持ち帰った胃腸炎。
本人は一日で復活していたが、それが数日を経て娘と妻に感染したようで、妻と娘は会社と幼稚園を休み、病院へ行くことに。
父は下の送り迎えだけを依頼される。
「了解。病院で何か分かったら連絡ちょうだい。」
そう神妙な顔をして心配する父だが、本心はそんなところにはない。
「いなり寿司はどうすんだ!!」

目の前に広がる総勢10のいなりが私をにらむ。
試しに「いなり寿司食べる?」と聞くと、「うーん、油揚げはちょっと」とのこと。
そりゃそうだろう。おいなり様は胃腸炎を悪くすることをあっても良くすることはない。
もはや無事なのは私と息子。ここは男同士で難局を乗り切るしかない。
息子の朝ごはんとして、皿の上にのいなり2コを置いてみる。
「オヤジ。冗談きついぜ」
とばかりに首を横に振る。
一つを減らすが、首の振りは止まらない。
結局、1コどころから一口も食いやがらない。
かくして「10」の全てが父の担当となる。
アジア通貨危機なみの大暴落に、強気の「買い」は裏目に出る。
結局、「花見弁当」のような豪華な昼食を会社に持ち込むことになるのだが、かと思えば、親の分がなくなるほど足らなくなることもあり、子供の食欲誤差に振り回される日々が続いていく。
もちろん、子供たちの食べ残しを処理し続ける父、母ともに、目下体重増加中であることは言うまでもない。
本日のコラムでした。
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