「どう思う?」
と聞かれても、何の感想をもたないことがある。
例えば、先日、ある友人から
「夫婦喧嘩をして妻が実家に帰ってしまった話」
を聞いた。
当の本人からすれば切実なことで、自己の正当性と妻の不当性をまくし立てる。
このような時、
「話を聞いて欲しいだけ」
であれば簡単。
私の出身母体、プル〇ンシャル生命の伝統芸
「ハヘホの法則」
の出番である。
ハァ~(感心)
ヘェ~(同意)
ホォ~(驚愕)
の3パターン。
前職のあるマネージャーが
「話の相槌はハヘホの3つで十分や!!お前の感想なんていらん!!」
と豪語していて、以来、その教えを頑なに守っている。
しかし、これで済まない時がある。
それが、
「どう思う?」
と聞かれた時である。
「えっ?俺?」
と、その瞬間、にわかに緊張感が走る。
何故なら。。。
何の感想もないからだ!!
正直、どうも思わないし、何も感じない。
しかし、そうとは言えない雰囲気がそこにはある。
そんな時、
「相手の言っていることに乗っかる」
というのが世の中で最も広くとられる手法であろう。
前述の例で言えば、奥さんの不当性を一緒に責め、
あなたが正しい。あたたは間違ってない。私はあなたの味方です!!
と宣言する腰巾着方式だ。
ベタな方法だが、これはこれでだいたいの場合、正解である。
だろう?お前もそう思うだろ?
と話は盛り上がり、本人はスッキリして、満足してお帰りになる。
もちろんこんな議論には何の意味がないことは言うまでもない。
いかに正しかろうが、奥さんは戻ってこないし。結局のところ、頭を下げ実家に迎えに行かない限り物事は収まらないのである。
このような「何の感想もない」状況は、そこかしこに存在する。
妻の子供への教育方針についての「どう思う?」や、仕事で失敗した部下の言い訳めいたニュアンスを含んだ「どう思いますか?」
残念なことに、何も思わないし、感想を捻り出してみたところで、その通りにするわけもないのだから、とりあえず相手の言っていることに同意するのは楽である。
しかし、我々プロは違う。
ここで安易には乗らない。
「難しい問題だね。」
小難しい顔をして、そう返す。
と言うのは、このような場面で考えなしに相手に乗るのは危険だからである。
例えば、前述の夫婦喧嘩。目の前の友人の肩を持ち、奥さんの不当を一緒に責める。しかし、ここに落とし穴がある。
奥さんの悪口は、夫が言う分には良いが、他人が言い過ぎると、
「お前が言うな!!」
という不快感をもたらすことになる。
俺は良いけど、お前が言うな
ということである。
業界では頭文字をとって「OIOI(オイオイ)」と言う。
念のため言っておくが丸井のことではない。
これが人間の感情の難しいところである。
しまいには、その後和解でもしようものなら、自分だけ取り残されてしまい。
「あいつはお前(妻)のことを無茶苦茶言っていた」
と、二人から恨まれるケースもあり得る。
「何の感想もない」のに敵だけが増えるというジレンマに陥る。
だからこそ、まずは「難しい」と軽く打ち返す。
いわば相手の感情を読み取るためのエコーである。
ここで、「何が難しいんだ?」とイラつくようであれば、こちらも旗幟を鮮明にする必要がある。
リスク覚悟で完全に同調し、「100年に1人」の最高の腰巾着にならざるを負えない。
しかし、相手に迷いがあるようなら、質問をしてみる。
「根本的な原因は何でしょう?」
これを業界では「deepに切り返す」と言う。
より深く本質的な話にしてしまうことにより、相手に考えてもらうのである。
ビジネスのルールでは、質問に質問で返すのは禁物と言われているが、この場合は良い。
何度も繰り返すが「何の感想もない」からだ。
そして、概してこういう場合、「正解」は相手しか知らない。
相手しか知らないことをこちらに聞かれても、答えようがないのである。
本当は奥さんに謝るべきなのに、強がっているだけ。
本当は子供にどう接するか分かっているのに、イライラしているだけ。
本当は自分の力不足を知っているのにお客さんのせいにしたいだけ。
「どう思う?」
という質問の裏には、このような真実が含まれている。
しかし、これらは人から言われて納得するものではない。
ズバリ指摘すると、ムキになって反論される場合もあり、これも不毛である。
だからこそ表面的な現象に捉われず、より本質的な議論に深化させ、本人に回答を得てもらうしかない。
「大事なことは自分で気付いてもらうこと」
というコーチングの基本である。
「本当にそうなんですかね?」
「本当はどうすれば良かったんですかね?」
と質問を繰り返せば、だいたい問題の本質に気づく。
最後に、保険屋13年目にしか言えない必殺のセリフ。
「病気に苦しみ、亡くなる人もいる。愛する家族がいて、仕事があって、何よりも健康で、〇〇さんは幸せじゃないですか。」
と締めれば、
「それもそうだね。。。」
となる。
「病と死」という人生で最も重いテーマを持ち出すことにより「自分の悩みなんて大したことはない」と思わせる。
業界では「ドアインザフェイス」と言われるテクニックである。(これだけは本当にある)
さて、いささか話が長くなった。
要は「俺に聞くな。自分で考えろ」ということを回りくどく説明してみた本日のコラム。
オススメ記事
多くの死を見た保険屋が「父の死」について感じること
二人目の子供 「倍以上に大変になった」という父親の心境を解説
今だから書ける外資系生保「やっかいな人たち」列伝
この記事が気に入ったら
いいね!しよう
最新情報をお届けします