柔道銅メダルを生保の世界に例えると


オリンピックの柔道で銅メダルを取った選手が

「申し訳ない」

「自分が情けない」

などとコメントすると、謝る必要はない、十分凄い、などとフォローする人がいますが、そんなもん当たり前です。

あの場にいるだけで凄いに決まっているし、更に世界で3位というのは半端なことではないのです。

しかし、それを大前提とした上で、あえて言うならば1位でないとダメ、2位、3位ではダメ。という世界があることも事実です。

オリンピックと比べるのも大変僭越ですが、外資系生保のセールスチャンピオン争いというのもなかなか熾烈です。

特に外資系は腕に覚えのある3000人以上のセールスが1位から最下位までランキングされ、隣の奴より自分が上か下か、毎週意識させられます。

それが丸一年続き、年間チャンピオンが決まるわけですが、残り1ヵ月を切ると、それまでの成績により候補は3、4人に絞られてきます。

しかし勝者は1人。金メダルは1つしかありません。

勝者がいれば敗者もいる。

1位のチャンピオン以外は記憶に残りません。



過去、大変お世話になった二人の先輩がチャンピオンを競ったことがありました。

私はそんな戦いを横から見ていたに過ぎませんが、それはそれは壮絶です。

お互いに知力、体力、精神力をふりしぼり勝利を目指す。

一方が勝ち、一方が負けました。

敗者は自分を支えてくれた仲間、家族に「すまない。力が及ばなかった」と頭を下げるのです。

そんな時、敗者にかける言葉を我々は知りません。

それまでの血が滲むような努力を見ていれば、十分凄いとか、頑張ったとか、そんな陳腐な言葉は薄っぺらい同情にしか過ぎず、ただそっとしておくしかないのです。

私は日本柔道のオリンピックも生保のチャンピオン争いも登山に近いと思います。



エベレストのような最高峰を目指す。

頂点に立つ者もいれば、9合目で下山する者もいる。

エベレストの9合目まで行けば凄い。そもそも挑戦しただけでも価値がある。

そんな当たり前の一般論は本人にすれば関係なく、登頂出来なければ8合目も9合目も同じなのです。

頂上に立つことが出来なかった悔しさはその人にしか分かりません。

全ては自分の思い。自分との闘い。

他人がとやかく言うことではないのです。

真剣勝負は甘くない。

12年前。「いつの日かあの頂点に立つ」と決意し、私は外資系生保の門をくぐりました。

しかし、自分の力ではその頂に到底届かないことに気付くのにそれほど時間はかかりません。

既に山を降りた私には敗者の気持ちがホンの少しだけ分かる。

だからこそあえて言いたい。

金にこそ価値がある。と

負け組おっさんのたわごとでした。



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8月 10th, 2016 by