「ちょっと聞いて下さいよ」
後ろに座る後輩がそう言う。
「何?どうした?」
と振り返ると、何やら溜息を漏らしている。
「あと3ヶ月で子供が生まれてくるので、この間、新しい家に引越したんです。ちょっと奮発して家賃17万円の部屋に」
「ほう、そりゃおめでとう。」
「でも、これ見て下さいよ」
そう言って彼が小さな紙を差し出す。
給与明細 〇〇生命保険株式会社
それは当時勤務していた保険会社のものだった。
そう言えば今日は給料日。
後輩の明細には、給与の額面と、そこから社会保険や税金が引かれた支給金額が載っていた。
支給金額 15万4,321円
家賃を下回る給料。
新しい月、その初日から「赤字決定」の瞬間だった。
目の前では後輩がうなだれている。
「まっ、まあ、仕方ないよ。これが歩合制だからさぁ。また今月頑張れば良いじゃん?生まれてくるお子さんのためにも」
そう慰めるしかない。
「そうですよね。でもこの金額凄くないですか?」
そう言われたものの意味が分からず、再度、明細に目を落とす。
何度見たところで新人OL並の金額は変わらないのだが、彼は意外なことを言った。
「15万の5から、4,3,2,1のカウントダウンですよ?次はゼロで発射じゃないですか?これって『もう辞めろ』っていう会社からのメッセージですかねぇ?・・・」
そう涙声で訴える。
まさか徹底的にムダを嫌うこの会社がそんな気の効いたことをするとも思えないし、むしろたかが数字の羅列にそこまでのドラマを感じてしまう彼の精神状態の方が心配だった。
そして、その数ヵ月後、彼は会社を去った。
多くの人間が入っては辞めを繰り返すこの保険会社ではありふれた光景で、わりとその後輩とは仲が良かったはずの私でも、特に何かを感じることはなかった。
ただ彼と、生まれてくるお子さんに幸あれ。と祈るばかりだった。
外資系生保、完全歩合、超実力主義
20代で1億円を超える年収を稼ぐ者がいる一方、15万円の給与明細に自分の運命を照らし合わせ涙する者もいる。
トップと最下層の年収差は100倍を越える。
出来ない営業マンが100人いても、たった1人の優秀な営業マンに勝てないのである。
張飛が、呂布が、趙雲が、刀一振りで100人の雑兵をなぎ倒す「三国志」のような世界。
本日はそんな世界の給与にまつわるエピソードをお送りしたい。
なお、一応は「実話を基にしたフィクションです」ということにしておく。
1 給与明細を開けない男
毎月25日の給料日。
営業マンたちは自身が所属する営業所の所長から「ご苦労さん」と言われ、給与明細を手渡しされる。
外資系のはずだが、このあたりは何やら昭和の工場の匂いがする。
それを開け、溜息をつく者、小さくガッツポーズを作り、鼻歌を歌う者、人それぞれの悲喜こもごもが、あちらこちらで繰り広げられる。
しかし、マナーとして「大きく喜ぶ」ことはいけないとされていた。
職場には冒頭のように追い詰められた営業マンもいるため、自身の勝利を声高に叫ぶことは自然と慎む。野武士の集団のような外資系生保でもそれくらいの気遣いは出来るのである。
そんな中、会社を代表するような売れっ子のAさんは、給料日でも泰然としている。
ある時、机の上に未開封の給与明細が置いてあったため、
「開けないんですか?」
と聞いてみた。
すると、こう返ってきた。
「入社以来、一度も開けたことがない。いつも嫁さんに渡すだけ」
驚いて、その理由を聞くと、
「月々の金額に一喜一憂していたら大きな仕事が出来ない。今月は給料が多かったから大盤振る舞いしよう。逆に少なかったからお客様との付き合いを減らそう。そう考えるのは相手に失礼。お金ごときに振り回されて、自分のやるべきことがブレてはいけない。」
そうは言っても人間。
見たら気になるので「一切見ない」と決めているそうだ。
もちろん売れっ子だから、お金に困るようなことはない、という大前提があってのことなのだが・・・
「だったら私が見ても良いですか?」
何故にそんなことを言い出したのか、今もって分からないが、単純に人の給与明細を覗き見たい衝動に勝てなかった。
「別に構わないよ。但し、俺にも人にも言わず、お前の心の中に留めておけよ。」
そう言って、机の上の明細を私の方に滑らせる。
ドキドキしながらそれを開けると、そこには、通常の人たちの年収を超える4桁万円の金額が記載されていた。
確か先月大型の法人契約が決まっていたので、それが反映されたものだろうが、繰り返すが「月給」である。それが4桁・・・
「奥さん喜びますよ」
そういって、その場を後にした。
2 明細を持ち歩く男
この方を、私は直接には知らない。
しかし、自分のギネス記録となっている明細を常にカバンに入れて持ち歩いているらしい。
そして、それを何かの機会にお客様や、知り合った方に見せるのだと言う。
若いビジネスマンや、殻を破れずにもがいている人に、
「こんな世界もあるんだよ。君も頑張れ!!」
というメッセージを送るための行動と説明していたが、私なら「自慢かい!!」としか思わない。
しかし、人に見せることはないが「自己ギネス」の明細を大切に保管している人は結構いた。
「いつかこの記録を超える!!」と自身に発破をかけるためのもので、これもこれで一つのモチベーション管理の方法なのだろう。
自分の活動、努力、成績が全て反映される。それが給与明細。
ただの紙のはずだが、人によっては表彰状のような意味を持つのだ。
3 マグロを追い求める男
毎月の給与は常に10万から20万円台。
経費が全て自己負担の外資系生保では、到底それでは暮らしていけないのだが、一切意に介さない人がいる。
この手の人は超太客を1社か2社ほど持っていて、そのお客様の決算月にのみ契約が入り、その1本、2本で1年間の生計を立てているのである。
このタイプは、社内で「季節労働者」、もしくは
「マグロ漁師」
と言われていた。
実際に稼動するのは、年に一月か、二月。
その他の10ヶ月か11ヶ月は漁に出ていないのだから、そんな時の給与明細など気にしても仕方ない。少なくて当然。
しかし、マグロを揚げた時の給料は凄い。なんせそれで1年間食っていくのだから。
「これで今年も何とか生き延びたぜぇ~」
そう言っている横顔は本当の漁師のようで、ネクタイより頭にタオルでも巻いている方が似合いそうでもある。
しかし、マグロが揚がらない年は悲惨である。
死亡フラグが立ち、
「〇〇さんが五反野のキャバクラでボーイのバイトをしているらしい」
「いや、道路工事の交通誘導をしているところを見た」
などという噂がまことしやかに流れる。
まだまだ他にも話があるが、これ以上暴露すると怒られそうなのでこの辺りにしておくか。
いや、これはフィクションであった。改めてそう強調しておく。
ちなみに私自身は「コツコツ型」と言われ、あまり給与に波はなかった。
そのため、給料日も特にテンションが上がることもない。
マネジャーには、
「お前は本当にコツコツやるなぁー」
と、褒められているのか、小ばかにされているのか分からないようなことを言われていたし、破天荒な人間が多い外資系生保では珍しいタイプでもあった。
給与にまつわる何か強烈なエピソードでもあれば皆さんに喜んで頂けるのだが・・・
我ながらつまらない男である。
本日のコラムでした。
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