日航123便に搭乗した「社長28名」その後の会社の運命とは?


日航ジャンボ機墜落事故。

昭和60年8月12日、日本航空123便が御巣鷹山に墜落し、520名もの方がお亡くなりになった。

今年で35年が経ったことから、ここ数日、関連ニュースを目にすることが多い。

当時、私は9歳だったが、墜落現場からの中継を食い入るように見ていて、生存者(4名)がヘリコプターで引き揚げられていく映像を今でも鮮明に覚えている。

その後、20代後半で、保険業界に入ってから思わぬ形でこの悲劇の「別の側面」を知ることになる。

入社して1年目。企業の財務分析に関する研修だったと記憶しているが、講師を務める会計士の先生が冒頭にこんな話をしていた。

「御巣鷹山に落ちた日航機。実はあの飛行機には多くの『社長』が乗っていた。東京-大阪間を飛ぶ夕方の定期便だったので、大阪からの日帰り出張のビジネスマンが多かったのだろう。」

「残念ながらその全員が亡くなったが、その社長たちの会社はどうなったか?」

ここで一拍置き、こう続いた。

「大企業は無傷だったが、中小企業のほとんどは倒産した。」




つまり、その先生が伝えたいことは。こういうことだ。

規模の大きい企業であれば、たとえ社長が急逝したとしても、財務面、人材面、どちらもバックアップ体制がしっかりしているので問題はない。

しかし、中小中堅企業の場合、社長は営業部長であり、経理総務部長でもあり、更には商品開発部長、工場長、広報部長を兼ねている。

会社 = 社長

なので、その社長がいなくなってしまえば、会社はひとたまりもない。

そこから話は本題に入り、社長に万が一のことが起こっても、会社が生き残るためには財務的にどのようなことが必要なのか?ということに移っていった。

しかし、これも今から15年近く前に聞いたもの。

そして最近の「事故から35年」というニュースを目にし、改めてあの先生の言ったことが気になり、分かる範囲で調べてみた。

まず、犠牲者520名の名簿(お名前、肩書など)を見ると、あの機には1名のドイツ人(貿易関連)を含む、28名の「社長」が乗っていた。

そのうち「大企業」の経営者は3名。

ハウス食品 浦上郁夫社長 (享年47歳)

神栄石野証券 石野喜一社長 (享年34歳)

阪神タイガース 中埜肇社長 (享年63歳:阪急電鉄の専務も兼務)

神栄石野証券は、その後、SMBCフレンド証券(現 SMBC日興証券)に吸収合併され、今はその名を残してはいないが、当時は中堅証券会社としては名の知れた存在だったらしい。

なお、この吸収合併は証券業界の統廃合によるもので、事故とは何の関係もない。

そして、ハウス食品、阪神タイガースの2つは、皆さんもご存知の通り今も存続している。

この3社に関して、社内の精神的なショックはともかく、業務的にはすぐに新しい社長が就任し、事なきを得たということで、

「大企業は無傷だった」

ということは正しい。

では、中小企業25社はどうなったのか?




現時点で、存在を確認できたのは8社。17社に関しては既に清算されているか、存続していたとしてもネットには一切情報が載らないレベルでの活動かと思われる。

しかし、結果的には25社中8社。約3割もの会社が残っていた。

そもそも35年も経過すれば、社長が生きていても、ほとんどの会社はなくなってしまうので、この「3割」という数字はむしろ奇跡的だとも言えるし、今はなくなってしまった17社にしても、その全てが事故直後に倒産したわけでもないだろう。(しばらく継続していたが、その後、他の事情で清算、売却など)

あの会計士の先生が言った

「中小中堅の『ほとんど』は倒産した」

というのは、随分と大げさな話だということが分かった。

きっと先生も自分で調べたわけでもなく、誰かから聞いた話だったのかもしれない。

思えば8月12日は夏休み、お盆の真っ只中。

あの機に乗っていた「社長さん」はそれを返上して東京、大阪間を飛び回っていたのだから、きっと働き者だったのだろう。

そんな経営者が残した会社だからこそ、3割もの会社が35年間たった今も発展を続けている。

経営者が亡くなっても、その志は会社が継いでいく。

そんなことを感じた本日のコラムでした。

 

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8月 13th, 2020 by