あの日から10年「保険」は何が出来たのか?


「あの日」からもう10年です。

2011年3月11日。

その日は金曜日。ちょうど何のアポもなかったので、私は怪我をして入院をしている友人のお見舞いに横浜に行くことにしました。

天気も良かったので、その頃、新たな趣味としてはじめたロードレーサーで東京から横浜へ。

距離は約40kmほどです。

ロードレーサーに乗る方にとっては「肩慣らし」程度の距離ですが、初心者の私にとってはなかなかの行程で、ひいこら言いながら2時間ほどかけて到着。

病気ではなく、怪我で入院している友人も暇を持て余していたようで、小一時間ほど病院の食堂で友人と話をしていると、そこにグラグラと大きな揺れが。

食堂のテレビではアナウンサーが

「震源地は東北、マグニチュードは8から9と想定」

と繰り返し報じ、窓の外では川崎方面の工場で黒い煙があがっていました。

この後、電車が止まってしまったため、都心では多くの帰宅困難者が出ることになりますが、私は幸いロードレーサーで来ていたため、自転車で戻れます。

ここからの風景。多くの人が覚えていると思いますが、ところどころ信号機の電気が消え、道には車と人がごった返す。

こういう時、自転車は何とも便利なもので、渋滞している車の横を抜けられるため、街が大混乱しているわりには、3時間くらいで自宅に戻ることが出来ました。

妻とお互いの無事を喜ぶ。

それもつかの間、妻は「大変なことになってるよ」とテレビを指差します。

そこには津波に流される人、家、車の映像。

街の大半が濁流に侵され、屋根の上やビルの屋上で救助を待つ人々。

そして、白煙をあげる原子力発電所。

その後も、断続的な余震。

これからどうなるんだろうか?・・・

その日の夜、往復80kmを走破し、体はクタクタのはずでしたが、なかなか寝付けませんでした。

もちろん東北の方々の辛苦に比べれば、東京にいた我々の恐怖や苦労など微々たるものですが、それですらあの日「死が近づいてきた」という実感をもった人は少なくなかったのではないでしょうか?



そして10年が経ちました。

今から振り返っても、東日本大震災は極めて大きな被害を残しました。

死者/行方不明者    1万8,425人
震災関連死          3,700人以上

 合計     約2万2,000人

被害額
民間建築物  10兆4,000億円(住宅、工場など) 
社会基盤     2兆2,000億円(道路など)
農林水産関係   1兆9,000億円(農地や水産関係施設など)
ライフライン   1兆3,000億円(ガス、水道など)
その他      1兆1,000億円(公共施設など)

被害総額   16兆9,000億円

2万2,000人もの人命と16兆9,000億円もの資産。

失われたものはあまりに巨大です。

一方、私がいる「保険業界」はこの未曾有の災害に何が出来たのでしょうか?

支払い保険金は以下の通りです。

生命保険     1599億円(2万1,027件)
損害保険 1兆2,862億円

生保では単純計算で1件あたり760万円の保険金となり、損保は全体の被害の7.6%程度を補償していることになります。

これは「平均的」な被害者1名に

保険金760万円、補償率7.6%(例:家の全壊費用の7.6%)

を提供したことを表します。

未曾有の災害の割には「そんなもんか」と思った方が多いのではないでしょうか?

保険金や補償率が低い理由としては、

・被害者に高齢者が多く、生保、損保ともに加入していなかった人が多かった

・かんぽや農協、漁協の共済が強く、それぞれに保険金の上限(かんぽ生命は1300万円まで)があるため、十分な保障が確保されていなかった

ということが挙げられています。

また、過疎化しているようなエリアも多いので、収益性を重視する民間保険会社では、どうしても「支店を出せない」という問題もあり、そのため先のかんぽ、共済「以外」の情報にアクセス出来ないという背景もあります。

東日本大震災だけに限らず、これらの過疎エリアの保険カバー率の低さは、日本全体の課題でもあります。



あの日から10年が経ちました。

この間、多くの人と同じように私も思いついた時に募金をし、被災地のボランティアに行き、家族の旅行先に出来るだけ東北を選び、そこでなるべく(そして楽しく)お金を使うようにして、でもそんな程度です。

しかもボランティアなんて、ちょっとやっただけで体はガタガタ。

スコップを持つ手も危なっかしく、ボランティアのリーダーに心配される始末。

「俺は金を稼いで、その一部を送るほうがまだ役に立つな」

そう思い結局1回しか行っていません。

保険と同じく、私も非力であり、出来ることなど限られていますが、それでも「あの日」を忘れず、自分のやれる範囲でやっていく。そう思っています。

改めて被害にあわれた方の鎮魂を祈ります。

本日のコラムでした。

 

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3月 11th, 2021 by