バレンタインデーにドキドキしなくなってから、もう何年が経つのか・・・
太古の昔、こんなことがあった。
まだ私が小学校2年生の時だから、1980年代初頭。もう40年近く前か。
紫の服を好んで着ている女の子がいた。それだけを覚えている。
口元にほくろがあり、キリッとした顔。
クラスの男子からも人気のあった子だったのだが、ある日、私が下校する途中、その子が道端で泣いているではないか。
口をきく仲でもなかったのだが、一応はクラスメイト。
「どうしたの?」と声をかけると、野犬(当時、私が住んでいた東京都足立区はスラム街のようなところだったので、いたるところに野犬がいた)に追いかけれたらしく、その際に足を挫いたそうだ。
「それは放っておけん」とその子を背負い、追いすがる野犬を撒き、南総里見八犬伝的な気分で家まで送る。
多分、それが1月くらいの話で、その時には「女の子を助けてあげて立派だね」という程度の話で終わっていた。
そして2/14。
バレンタインデー。
満州事変の前年。1936年に神戸の菓子メーカー「モロゾフ」が
「あなたのバレンタインにチョコを贈りましょう」
という広告をうって以来、森永、伊勢丹、ソニープラザなど、その時代を彩る陰謀主が綿々と日本人に刷り込んできた
「バレンタインデー=女性が好きな人にチョコを贈る」
という悪しき習慣は、既に私が子供のころには定着しており、そんなわけで、この日、私も妙にソワソワしていた。
お決まりの母親からのチョコを一瞥し、学校へ。
学校の始業は8時30分だが、この日ばかりは女子は8時前には登校し、目当ての男子の下駄箱や机にチョコを仕込む。
そこへクラスのイケてる系男子が
「何だよ、バレンタインって?たりーな」
的な雰囲気でやってくるのだが、本心は違う。もちろんチョコを欲している。
もし「チョコ」が投資信託にでも組み込まれていたなら、この日ばかりは爆騰だろう。
「なんだよ、チョコか。誰だよ?」
自身の机をまさぐった結果、クラスの人気者が、照れながらそうつぶやく。
とんだ茶番だ。
で私は?
当然ゼロ。
肥満児、気弱、だけど親は金持ち(その後、没落したが)でそれを鼻にかける、というスネ夫とジャイアンを足して、そこから喧嘩の強さだけを引いたような私はクラスカーストの最下層であり、そんな私にチョコをくれるような女子はいない。
が、そんな私に幸運が見舞った。
下校の途中。なんと、あの紫の女の子が私を待ってくれていて、チョコをくれたのである。
それは野犬から救った私に対して淡い恋心なのか、それともほんのお礼程度の義理だったのか。
今となっては知る術はないが、そんなことはどうでも良いことで、私にとっては価値ある「一勝」であった。
そして急速に彼女のことが好きになった。
家に帰り、母にそのことを報告すると「あら、あんたもやるわね」とからかわれ、そして同時に、1ヶ月先のホワイトデーなる日に「お返しをする」ということを知った。
ほう。お返しね・・・
自分の中で膨張した「あの子の想い(多分に勘違い)」に答えるためにも、これは用意周到に準備せねばならぬ。
その後暫く「ホワイトデーに何を贈るか調査」をしていたのだが、なんせ足立区はスラム街(当時は)
そのため、私の同級生も貧しい者が多く「袋詰された飴を1個ずつ配る」とか「うまい棒1本」とか、まあとにかくセコい。
こういう時に家が裕福(後に没落)というのは、非常なアドバンテージとなる。
ホワイトデー前日、近所の洋菓子店に行き、確か1,000円近くする飴とクッキーの詰め合わせを選んだ。うまい棒の100倍である。
母親からは「高すぎるんじゃないの?もらった方も恐縮しちゃうわよ」とたしなめられたが、こちらも必死だ。
「言ってくれるなおかっさん!!どうか、男にしておくんなせぇ」
そう頼んで、何とかこの貢物を手に入れた。
そして当日。
下校時。紫のワンピースを待ち伏せ、それを渡す。
やはり思っていたよりも豪華なお返しだったのだろう。大層喜んでくれたように見えた。が、次の瞬間。彼女はこう言った。
「実は4月に引っ越しするの。だから学校も転校する。今までありがとうね。」
ガビーンである。
私の初恋とも言えない恋はこうして終わった。
今頃、どこで何をしているのだろうか・・・
あれ?ところで何の話しようとしてたんだっけ?
昔話を思い出していたら、随分と文面を割いてしまった。
ああ、そうだ、そうだ。
バレンタインデーとコロナだ。
んー、何か影響あるのかね?
なんか各種データを見ると「義理チョコ」が減ったらしい。
そのため、チョコレートの販売量も低下したのだが、そりゃそうだろう。
会社や、学校に行かないんだから。
それとバレンタインの関連市場も2割程度減ったらしい。
そりゃそうだろう。夜遅くまで酒も飲めないどころが外食もままならないんだから。
代々のマーケティング会社が連綿と育んできた「バレンタイン」も、コロナにより「意外と面倒臭い」と世間が気付いてしまったことで、消えてなくなるかもしれない。
まあ、それも良いだろう。
どうせ男女のマウンティングと、カーストを実感するだけのイベントだ。
だがそれでも光もある。
どの調査でも、
「本命チョコ」
その数は減っていない。それどころか増えている。
コロナ禍がバレンタインという商業的な「文化」を撲滅したとしても、人が人を好きなるという「本能」を消し去ることは出来ない。
小学校2年生の私のように。
より本質的にバレンタインが進化するのであれば、それこそ「コロナ果」と言えなくもない。
本日のコラムでした。
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