第二次世界大戦の「ガラガラポン」を経験した方のお話


ロシアがウクライナに侵攻してから1ヶ月以上。

あまりの惨状に言葉がない。

罪のない人々が殺され、街は破壊しつくされ

「人間が、同じ人間にこんなことが出来るのか?」

そう思うような蛮行が繰り返されている。

それなのにNATOも、国連も、アメリカも何も出来ない。

戦争という圧倒的な暴力の前に世界は無力だ。

10年以上前の話になるが、ご縁があって、とある親睦会に何度か参加させて頂いた。

特定業界の経営者が集まるのだが、とにかく平均年齢が高い会で、70代後半から80代、中には90代の方もいらっしゃった。

皆さんお元気で、出された料理は全て平らげる。

そして会も中盤に差し掛かると、必ず戦中、戦後の話になった。

「Aさんは、満州でしたっけ?」

「ええ、そうです。Bさんは内地の福岡ですよね」

「私はまだ学生だったので、戦地には行かずに済みました」

などという会話。

当時、30代の私からすれば、このようなお話はなかなか聞く機会がないので、とても興味深くうかがっていた。

ただ、何と言うか、あまり上手く表現出来ないのだが、戦争中の出来事に関しては、

「お互いにあまり聞かない」

というのが戦争経験者、いや「戦闘経験者」のマナーのようでもあった。

せいぜい配属地、所属を聞くくらいで、具体的なことは聞かない、話さない。

戦地で酷いことをされ、そして、したのかもしれない。

人の命を奪ったかもしれない。

それぞれが墓場まで持っていくこと。



その傷には「触れてはいけない」という不文律があるようにも感じ、むしろそのことが戦争の悲惨さを物語っていた。

自然、話は戦後にフォーカスされる。

とにかく大変だったそうだ。

その会で良く使われていた言葉が「ガラガラポン」

「金持ちも貧乏人も皆んな貧乏になって、食うものもない。もう、ガラガラポンよ。」

ガラガラポン

呑気な響きに似合わず、その言葉の意味するところは底冷えするほど恐ろしい。

建物も常識も全て壊され、それまで築いてきた資産、貯金を全てなくす。

自分の身一つ、命一つしかない

全員がゼロになり、全員がリスタート。

ただ、それでも命が助かっただけマシ。

皆がそう思っていた時代。

「今では想像すらできないですね・・・」

率直にそのような感想を述べると、その会のメンバーは口々にこう言った。

「当時の我々だって、想像してなかったよ。戦争に負けるなんて考えてなかったし『絶対上がる!!』って言われて、貯金で戦争国債買ってたんだから。」

注:戦争国債は戦時中の戦費を賄うために国が発行した債権。
敗戦でほぼ無価値となり、昭和26年に強制的に繰り上げ償還された。

この会でお聞きしたお話は、私自身の仕事であるファイナンシャル・プランニングに小さくない影響を及ぼした。

と言うのも、戦後の混乱期について、こんなことをおっしゃる方が多かったからだ。

「皆が厳しい時代だったが『土地持ち』と『農家』だけは強かった」

「よく、衣食住って言うだろ?でも、本当は食住なんだよ。とにかく食うもの。食べないと数日で死んじゃう。で、寝るところ。せめて雨風は凌げないと野宿じゃ体がもたない。」

こんな時、自ら食べ物を生産できる農家が「強い」のは当然だが、人が集まる場所(都心)を持っていることも強い。

まず住める。そして立地が良ければ商売が始められる。

更にインフレがくればいち早くそれに反応するのは不動産。

食住にすら事欠く非常事態の前では、お金も、ましてや株、投資信託、暗号資産など、まるで役にたたない。

やっぱり土地かぁ・・・

その後、自身で不動産の免許を取ったのも、今思えばこの話の影響があったかもしれない。

最近のウクライナのニュースに触れると、妙にこの会のことを思い出す。

あの方々は、戦争で何を見て、何を経験したのか?

それは「たった77年前」の話。

 

もちろん、今の日本で戦争が起こる可能性は極めて低い。

「軍隊ではない」という建前の自衛隊は、世界でも有数の実力をもった「軍隊」だし、アメリカ軍も駐留しているので、周辺諸国も容易に手出しすることは出来ない。

しかし、その確率はゼロではない。

現時点、同時刻、誰も助けてくれず、なす術もなく蹂躙されている人たちがいるのだから。

国もアメリカも頼りにならないということを知ってしまった私たちは、何をするべきか?

ガラガラポンが起きても生きていける「強さ」

それこそ真のファイナンシャルプランニングなのではないか。

最近はそんなことを考えている。

本日のコラムでした。

 

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4月 9th, 2022 by