安倍元首相、元偽芸者の妹から聞いた話


安倍元首相のエピソードを語りたい。

と言っても、私自身には何の接点もない。

妹の話だ。

今から20年近く前、その妹は向島の料亭でアルバイトをしていた。

向島というのは、浅草の北側に位置し、古くから料亭と芸姑で知られた花柳街だ。

仕事は「お店の諸々お手伝い」という内容ではあるが、芸姑が足りない時には着物を着せられてお客さんに酌をすることもある。

そんな「素人」の妹であっても、料亭は「花代(芸姑の料金)」を取っていたというのだから、何ともいい加減な話なのだが、若い子にとっては、とにかく時給が良いので結構長い間お世話になっていたようだ。

その頃は、まだ「料亭政治」がかろうじて残っていて、妹の店にも連日、政財界、官僚の大物が集まり、密談を繰り広げる。

ちなみに、料亭での宴席の構図はこんな感じ。

場を仕切るのはプロの芸者。

望まれれば三味や唄なども披露するのだが、20年前当時でも高齢化が進み、かつ数が足りない。

それを補うのが、妹のような偽芸者。

向島では「かもめさん」と呼ばれ「プロの芸者」とは明確に一線が引かれているのだが、一応は着物を着て、姿かたちだけは芸姑に似せている。

しかし、その正体は素人が扮した偽芸者である。

重要な密談の場にこ素人が紛れ込んでいるのだから、こんな恐ろしいこともない。

そして素人だけに口が軽い。

当時、

〇〇党の〇〇先生は酒の飲み方が汚い。

◯◯省の〇〇事務次官は女の子を触りまくる。

などなど、色々な話を聞いた。

中には会食相手も、芸姑の「芸」もそっちのけで、隣のかもめさんに絡んでくるお下品な先生や、業者の接待で来て高いワインをバンバン開ける事務次官などもいて、

あんなんが日本を動かしてるんじゃ、この国も終わりだね・・・

と憤慨していた。

しかし、そのような中でも抜群に「品」があったのが、安倍元首相だったそうだ。

当時の安倍さんはまだ40代後半の「若手のホープ」という立ち位置で、妹自身は2,3回しか会ったことがないそうだが、いつでも会食相手の話を真正面から聞き、若い偽芸者には目もくれない。

かと言って不遜な態度というわけではなく、酌をすれば「ありがとう」と礼を言い、多少の会話の時にもしっかりと目を見て応対する。

そのため、向島の関係者の中でも安倍さんは人気があったそうだ。

安倍元首相が凶弾に倒れてから、数日。

実家の立ち寄った際、たまたま妹がいて、

「安倍さんが殺されて涙が止まらなかった」

と言っていた。

過去に数度会っただけの妹でも、涙を流してその死を悼むのだから、やはり相当な人間的魅力があった方だったのだろう。

 

なお、私自身は安倍元首相には多大な迷惑をかけられた。

アベノミクスというゼロ金利政策により、債券(日本国債)の価値は大きく低下。

その影響を最もうけたのが生保業界だからだ。

また、個人的にも

「農耕民族の日本人には、狩猟的発想の投資より、農業的な債券投資の方が合っている」

と思っている。

もちろん、債券投資だけで良い!!と言っているわけではなく株式などへの投資も重要ではあるが、要はバランス。

「守り」が好きな日本人に対して、国を挙げて「貯蓄から投資へ!!攻めろ!!」とスローガンを繰り返すことには違和感しかない。

また、数十年後の未来からアベノミクスを見れば「日本の『死』を早めた政策」と定義されるであろうと思っている。

なので、その最大の旗振り役である安倍元首相は「好きか嫌いか」で言えば後者だ。

そして、自ら始めたアベノミクスの尻拭いをせず、この世から去ってしまった。

故人に対して大変失礼な言葉であることは重々承知しているが、

勝ち逃げかよ・・・

それが本音でもある。

しかし、「首相は1人、1年の当番制」と揶揄され、長らくリーダー不在と言われた我が国において、8年近く日本を牽引し、外交、防衛などにおいて多大な功績があったことは事実であり、アベノミクスという一点でのみ「嫌い」というスタンスである私ですら、心から偉大な首相、政治家だったと思う。

謹んで安倍元首相のご冥福をお祈り申し上げます。

本日のコラムでした。

 

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7月 14th, 2022 by