20代後半。ITベンチャーにいた時、
「係長というポジションを作る」
という話が持ち上がったことがある。
若手社員の中で頑張っている奴に「係長」という肩書をもたせるとか、確かそんな話だった。
対象は「入社5年目あたり」というようなニュアンスで、私はもろに5年目。
今冷静に振り返れば同期には優秀な奴が沢山いて、その中で私は特段に良い方でもなかったのだが、なんせ若い。
「俺が選ばれるはずだ!!」
何の根拠もない中そう思い込んでいて、何だか日々妙にソワソワしていた。
しかし、結局この話自体が
「ITベンチャーに係長という肩書はダサい」
という理由でなくなってしまう。
要は「肩書で差をつけるほど、抜きん出た存在もいないし・・・」ということなのだろう。
で、私はこの結末にえらく落胆した。
「我こそは!!(勘違いだが)」と思っていたのに、会社側から見ればそれほどの評価でもないという事実を突きつけられ、純粋に落ち込んだのだが、次の瞬間
係長になれなかった程度でショックを受けている自分
にそれまで感じていた100倍のショックを受けた。
別に給与が上がるわけでもなく、権限が増えるわけでもない。
やっている仕事はそれまでと同じ。
ただ、
「よく頑張ってるね、偉いね。はい『係長賞』ですよ」
というお褒めの言葉(肩書)が貰えずに落ち込んでいた自分に気づき「ああ、俺、完全に組織に飼い慣らされてるわ・・・」そう痛感したのである。
ITとは何の関係もない個人主義の外資系生保に転じたのはこの半年後。
少なからずこの時の経験が影響していると思う。
肩書
こんな不思議なものはない。
組織の中での優劣の証明書のようなもので、その肩書をもって組織は組織としての形を作る。
法的に責任を持つ「肩書」は取締役だけであり、それ以下は「言ったもん勝ち」の世界。
組織に発行権があり「この肩書は偉いんだ!!」と定義すれば、皆がそれに頭を垂れる。
いつの間にか肩書ピラミッドが出来上がり、
「これになったら次はこれ、その次はこれ」
というような不文律が形成され、それが10年、20年ともなると、それぞれの肩書は権威でテカテカに黒光りしてくる。
肩書は無から有を、そして競走と欲を生み出す魔法のようでもある。
話は若き日に戻る。
係長レースの最中、私が考えていたのはこんなことだ。
「同期のAやBが係長になれるなら、俺がなれないのはおかしい」
自分自身が「上がりたい」というより「AやBに負けたくない」
もっと言えば「俺だって頑張っているのにAやBだけずるい」そんな子供じみた感情が自分の中にあった。
案外、この心理こそ出世欲のメカニズムなのかもしれない。そうも思う。
だがこのレースにもいつか終わりがくる。
40代にも入ればもう先は見えてきて、そこから「上がれる奴」はほんの一握り。
ほとんどが「もうこれ以上はない」という状態になり、私の友人にもそんな人が増えてきた。
高校の同級生などと集まると
「まあ、あとはノンビリ適当にクビにならない程度で」
などという話を耳にし、それなりの給与が保障されていて「ノンビリ」やれるならこんな良いことはないじゃないか、などと思ったりもするのだが、当の本人には内心忸怩たる思いがあるようで、口で言うほどにはその表情はさっぱりしていない。
言ってることと、思っていることが異なる「ねじれ現象」
その根底を知りたくて、色々聞くとやはり根っこには「あいつだけずるい」、「自分だってもっと評価されても良いはず」という感情が垣間見える。
「自分と誰かを比較しても、人生辛いだけだぜ」
よせば良いのにそんな教訓じみたことを言えば「自分で好き勝手やってるお前には分からんよ」と反論され「じゃあ、お前もやれば良いだろが!!この老いぼれ社畜が!!」と返し、我ながら凄いことを言うもんだと思い相手を見れば、パンチが効きすぎたのかうなだれている。
10年前なら取っ組み合いの喧嘩になっていたところだが、もう歳なのだろう。
あまりにボディが効きすぎて、立ち上がれない。
「な、なんかゴメンな。よく分からずに勝手なこと言って」
「いいよ。確かに老いぼれ社畜だから」
「そんなことないよ。功労者じゃん。早めの年金貰ってるみたいなもんだろ?」
「それが一番効くよ・・・」
フォローしたつもりが、更にローキックをお見舞いすることとなり、会は白けていく。
だが同時にこうも思う。
ようやく下らないレースが終わったのだから、これからが本当の自分の仕事なのではないか?と。
現役時代、スピンの「数」だけにフォーカスされ、4年に一度のオリンピックにしか注目されないアイスフィギュアの選手。
引退してからアイスショーでのびのびと演技している姿を見ると、これこそ「本当にやりたかったこと」なのだと感じる。
今までの闘いの日々で培ったスキルや人脈がなくなったわけではない。
そして引き続き「組織の力」は使える(これは私のような立場からすると羨ましい)
不毛な競走から降りてからこそ、本当にやりたい仕事が見えてくるのではないだろうか?
もちろん綺麗事を言っていることは重々承知している。
実際には「培ったスキル」もカビが生えていたり、人脈も肩書ありきで付き合っていれば役に立たないことが多い。
だが、全てがゼロになるわけではない。
「もう終わった」と落ち込んでいる40代はそこを履き違えている。
要は大げさなのだ。
勉強し直して、現代風のスキルに磨き直せば良い。
今の40代は若い頃ハードワークをこなし、ベースがしっかりしている分、光を取り戻すのは早い。
もしくは畑違いのスキルを身に着けて、今までのスキルと「掛け算」しても良い。
注:これは本当に良いことだと思うのだが、何故か40代は盲目的に今までのスキルにこだわる。
人脈も「何もないところからスタートした人脈が本物」だとも言える。
だからお互い何者でもなかった若い頃に出会った友人関係は長続きするのだ。
鎧を脱いだ今だからこそそれに再びチャレンジすれば良い。
そんなこんなで、私からすれば
「伸びしろしかないですね(by本田圭佑)」
という感じ。
まだまだビジネス人生は長い。
皆、疲れてきてはいるが、ちょっと小休止したら、競走や人の目を気にしない「本当の仕事」に取り組んで頂きたい。
と、好き勝手やっている(と思われている)チンピラが適当なことを言っておく。
本日のコラムでした。
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