習うことから学ぶ「褒める技術」 


この歳になって今更「自分探し」ではないが、最近、色々な習い事に通っている。

息子の影響でフルコンタクト空手を始めたことは、このブログでも何度か触れているが、ピアノも本格的に習うことにした。

youtubeなどを見てポロンポロンとやっていたものの、やはり我流では限界が。

ここ1年ほど全く停滞し「これじゃイカン!!」と、正式に先生について習うことにした。

また、色々と思うところがあり、新たな分野の趣味にも挑戦しようと思っている。
(まだ何の形にもなっておらず、かつ免許も必要なものなので、形になったらご報告したい)

と、言うことで最近「先生」と呼ばれる人に何かを「習う」機会が多い。

そして、そのような経験は大変勉強になる。

専門的なアドバイスもさることながら、「教わる」という経験の中で色々と得ることが多いのである。

最近、最も考えさせられたのが「褒める技術」

習い事において「褒める」というのは、教える方にも教わる方にも非常に重要だ。

先生、生徒という間柄ではあるが、そこにはフィー、つまり月謝が発生しており、平たく言えば生徒は客である。

あまり厳しいことばかり言っていては、生徒が離れてしまうので、適度に「褒める」というご褒美を与える必要があるのだが、これが上手い下手で生徒のモチベーションや、先生への忠誠度は大きく違ってくる。

色々な先生を見ていて思うポイントは

・自分視点か?

・相手視点か?

ということ。

分かりやすく数値で説明したい。

例えば能力値として、先生が100、生徒が10だったとする。

生徒が努力し、10から11になった。

先生が100の立場から自分視点で見た場合、これは「ほんの少し自分に近づいてきた」ということを意味する。

しかし、元々90の差(100と10)が、89の差(100と11)になっただけに過ぎず、この視点から見たら90分の1、1%程度しか成長していない。

感覚としては「まだまだ」というところだろう。

そのため、褒め方も「ほー、ちょっとはやるようになったなぁ」という上から目線になりがちだ。

対して、相手視点で見れば10が11になったことは「10%UP」であり、もの凄い成長だ。

この視点に立てば、褒める言葉も違ってくる。

いや、同じ視点に立つならば「褒める」という表現は適切ではない。

もしろ、努力や成果や成長を「一緒に喜ぶ」と言う感じに近い。

「やったね!!」というニュアンスで、褒める方も褒められる方も同じチームとなれる。

人間は誰しもバカではないので、この2つの違いに敏感に反応する。

そのため、相手視点で褒める(一緒に喜ぶ)ことが出来る先生の講座には人が集まるし、逆に自分視点の先生の講座は今一つ人気がない。

もちろん、どちらが良い悪いという話ではない。

本気でプロを目指すような人は、前者のような「ぬるま湯」に浸かっていてはダメで、

「私の高みまで来い!!」

というようなバリバリに自分視点の厳しい指導者につかなくてはいけないだろう。

で、私自身はずっと「バリバリの世界」で生きてきて、私自身もバリバリの自分視点である。

生保も不動産も甘い世界ではない。

未熟なスキルは結果的にお客様に迷惑をかけてしまうので、中途半端な奴を褒める文化などないし、それで良いと思っている。

だが、それが人生全般に影響し、家族や友人にも似たようなスタンスで接してしまうようなところがある。

顕著なのが子供。

上司と部下のような関係性となり、親である自分が満足できる結果を出した時しか、心の底から褒められない。

自分でも良くないとは思っているが、厳しいビジネス社会を生きてきた父親には多いのではないか?

しかし、どうしたら良いのか分からない。

「習う」という経験が、そのヒントをくれた。

子供と同じ目線に立ち、一緒に喜ぶ。

最近はそんなことを心掛けている。

だが、これが簡単なようでなかなか難しい・・・

本日のコラムでした。

 

この記事が気に入ったら
いいね!しよう

最新情報をお届けします


8月 24th, 2024 by