枝葉を落とした「鋭いトーク」その先にある世界


結局のところ、

医者は「治るのか?治らないのか?」

弁護士は「勝てるのか?勝てないのか?」

税理士は「大丈夫なのか?ダメなのか?(税務署的に)」

が重要であり、それ以外は枝葉の話だ。

だが、経験を積めば積むほど様々な事例を知ることになり、こういう場合はこう、でもこういう事もあり得る、等々の「例外」的な話が長くなってくる。

結果、切れ味が落ちる。

先に挙げた3職種ほどのステータスはないが、一応はそれぞれの分野の専門家である生保業界や不動産業界では、これらを「枝葉」と言い、忌み嫌う。

私が保険業界に入った20年前。

その会社では頻繁に「ロープレ」という名の疑似商談をやっていた。

一方がセールス、もう一方が客に扮し、お互いのセールストークをチェック、論評し合うのである。

入社して2,3年経つと、こんな指摘が増えてくる。

「枝葉が多い。もっとスッキリいけ」

要はトークが膨らみ過ぎているのだ。

この理由は2つある。

1 成功からくる「余計な話」の増加

2 失敗からくる「リスク回避」の増加

前者については、色々な成功体験を積んだことからくる自信の現れで「私はこんなことも知ってますよ」ということをアピールしたい心理から余計な話が長くなる。

ある種の承認欲求だろう。

後者は逆に数多くの失敗から「これも言っておかないと後になって揉める」というリスクヘッジだ。

これらがトークに錆のようにこびり付いてくると、切れ味はどんどん落ちてくる。

冒頭で述べた医師、弁護士、税理士だけでなく、仕事を通じて色々な業種の専門職の方にお会いするが、総じて優秀な人のトークはしっかりと枝葉を切っていることが多い。

医師は「治る」もしくは「治らない」

弁護士は「勝てる」もしくは「負ける」

税理士は「大丈夫」もしくは「ダメ」

まず結論を言い、そこから「何故ならば」という理由を端的に説明してくれる。

次に例外的なリスクについて「稀にこういうこともあり得る」という話に移り、このような時にも「経験上〇%程度です」と、数字で説明するこで相手の納得感を得る。

逆に冒頭から専門用語を並べ立て、結局何を言いたいのか分からないような人はだいたいダメだし、中には敢えて専門用語を「かます」ことで、素人相手にマウンティングを取ろうとするタイプもいて、これなどは論外だ。

さて、では自分は?と、ふと考える。

率直に言って、最近のトークは枝葉だらけで、もはや枝の方が太くなりすぎ、どれが幹なのかも分からない。

それが人の顔ほどもある葉っぱに覆い隠され、もはや森のような様相を呈している感すらあるう。

かと言って、それが前述のような成功や失敗からくるものか?と問えば、流石に50歳近くにもなってそんな理由でもなく、正直に言えば私自身が保険や不動産という自分が扱う物に対して、年々分からなくなってきていると言うのその原因かもしれない。

「こうです」

と言いきるほどの確信がないのだ。

若い頃なら「保険に入った方が良いか?」という質問に「何故ならば」と立て板に水で答えられたが、最近は「うーん、どうでしょう」という長嶋茂雄的な回答となってしまう。

実際のところ、死ななければ保険など要らないわけで、目の前の人が死ぬか生きるなどということは神様以外には分からない。

不動産も同じで、将来の景気の動向や、それ以上に地震などの天災リスクもあり、買った方が良いかどうかなど、私に聞いたところでムダだ。

それら不確定なことに「こうだ!!」と他人が断じるのはおこがましいことであり、そういう背景からなのか、若い頃の鋭さなどは微塵もなく、ボケーと一緒に森も眺めているような焦点の定まらないトークに終始している。

だが何故かそんな体たらくでもご契約を頂けるのだから不思議なもので、これも年相応の「進化」と自分を慰めしかない。

はて、ではその先にはどんな景色があるのか?

そこで思い出されるのは剣の道。

その極意は「無刀」にあり、道を極めた者は剣すらなく相手を圧倒するそうだ。

「無言」

何も言わずに売れてしまう。

それがセールスの究極体だとすれば、まだまだその入り口にすら立てていない。

本日のコラムでした。

 

 

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10月 29th, 2024 by