お小遣い制は本当に奴隷制度か?


堀江貴文氏がXに投稿した

お小遣い制は奴隷制度

という指摘。

なかなか面白い議題であり、FPとして、かねてから取り組んでみたいテーマの一つでもあった。

しかし、私を含め「お小遣い制」というような人が周りにいないのだ。

やはり一定以上の世帯収入があれば、お小遣い制などという堅苦しいものは導入しない家が多いのだろう。

だからこそ「小遣い制」の実体験の話を聞きたい、そう前々から思っていたのだが、割と近くにいた。

2か月ほど前、古くからの友人数人で酒を飲んでいて1軒目の終わり「次はどこに行く?」という話になった時、ある友人が「月末だからキツイ。ちょっとやめておくわ」と言う。

はぁ、その場の全員がそんな反応だった。

聞けば彼こそが、かの「お小遣い制」の実践者であり、その額は3万5,000円とのことだった。

その月は飲み会が多く、既に3.5万円を使い果たし、本日も妻から緊急援助資金として1万円をもらってきたのだと言う。

ちなみに、今年の夏までは3万円だったが、昨今の物価高、そして給与も上がったことから、5,000円の昇給を果たしたそうだ。

だが、そいつの勤め先は外資系のITで給与は安くない。つーか、高い。

友人同士なので開けっぴろげに聞いたことはないが、おそらく1000万円くらいはもらっているはずだ。

その場にいたある友人がそのことをズバリ突いた。

「お前、結構良い給料もらってるだろ?それで3.5なの?」

彼の説明では、まず家のローンがあること、そして車(結構高い外車)のローンがあること、子供二人が私立中学・高校に通っていること、大学の費用を貯めるために毎月10万円積み立てていること、など様々な出費があることから「俺の分は3.5」なのだと言う。

こういう時、FPという仕事は性質が悪い。

一瞬で計算式が頭に浮かぶ。

仮に年収を1,000万円とした時、手取りはざっと730万円程度。

家のローンが毎月15万円   180万円/年

車のローンが毎月5万円    60万円/年

学費が1人約100万円 二人で 200万円/年

大学の貯金         120万円/年

ここまでで560万円

更に食費や電気ガス光熱、通信費などで、子供が二人いれば最低でも20万円はかかるだろう。

これで年間240万円。

総合計は800万円で、手取り(750万円)と手取りを超えている。

つまり、理論上、彼のお小遣いは「なし」ということになるのだが、実際には奥様も仕事をしており、口ぶりでは毎月20~30万円の収入があるため、何とか回っているのだと言う。

そうなると「毎月3.5」も仕方がないような気がしてきた。

しかし、ここで別の友人が新たな視点を提起する。

「でもさ、俺はお小遣い制じゃないけど、毎月3.5万円も使ってるかな?」

その場にいたほとんどの者が「なるほど」という反応。

我が身を振り返ってみても、確かにそうだ。

一応は会社をやっているので、お客様や取引先などとの会食があり、奢ってもらうこともあれば、私が払うこともある。

その費用はそれなりにかかるが、あくまでそれらは経費。

自分自身が使うお金として考えると、どうなんだろう?・・・・

そこで1か月間、自分が「純粋」に使うお金を計算してみた。

なお、仕事に関わる交通費、通信費(スマホ)、会食費など、また、家で飲むお酒、食事、家族との外食は全て除外している。

以下がその結果。

習い事 27,300円

外食代 12,800円

遊興費   6,000円

合計  46,100円

ほう・・・3.5は越えてしまったが、こんなもんなのか・・・・

ちなみに私の場合、空手、ピアノ、スポーツジムと3つの習い事があるため、そのコストが大きい。

外食代が意外と少なかったが、私1人で食べる時など、立ち食いそばか牛丼で済ましてしまうことも多く、1回あたり千円もかからない。大抵は5,6百円で済んでしまう。

また、一応は健康のために週に1,2回くらいは弁当も作っているので、それもコストダウンにつながっているのだろう。

遊興費も映画や本、そんな程度だ。

もちろん服や靴を買ったりすることもあり、そういう月は出費が多いのだろうが、それでも普通に生活している「月」はこんなもんなのだろう。

自分でも意外と驚いた。

仮に習い事を全てやめれば(多くの会社員は習い事などしていないだろうから)私の基礎支出は2万円程度。

そうなれば3.5万円でも1.5万円が残るので、週一程度では居酒屋で飲める計算。

 

つまりはこういうことだろう。

お小遣い制というのは「縛り」であるが、実のところさほど窮屈なものでもない。(もちろん金額にもよる。流石に2万円とかは悲惨)

それよりは、精神的な影響が大きい。

網があるか、ないか。ということ。

世の夫が魚だとする。

魚たちは小さな湾に住んでいる。

お小遣い制の魚には湾の出口に網がある。

3,5万円以上、遠泳禁止。

だが、私も含めた平凡な男性の多くは、網がなくても湾の外には出ない。

ましてや、遠い外洋になど出る勇気などないのだ。

しかし、行けるのに行かない、のと、行けない、のでは大きな違いがある。

たまに湾から出て、一晩でバカみたいな散財をする。

もしくは下らない買い物をする。

当然後悔する。

何を隠そう、その金を苦労して稼いでいるのは自分なのだから、誰に言われるまでもなく己の行動を悔いる。

年に1回なのか、数年に1回なのか分からないが、発散という名の失敗が出来る「自由」こそが男の男たる所以なのだ。

とも思う。

しかし、そういう失敗をさせぬよう、転ばぬ先の杖として「お小遣い制」が機能しているのであれば、それはある種の愛情と言えなくもない。

ああ、そう言えば小遣い制の彼も、若い頃は金使いが荒く、結婚資金は嫁さんの実家が出したようなことを聞いた。

つまりは魚次第ということか・・・

こいつは網を張っておかないとヤバイ。

そういう夫を持った女性が本能的に小遣い制を導入し、結果、夫は見事調教され、従順な子魚となり、いつしか湾の外に世界があることを忘れる。

ん?

そうなると小遣い制を導入されていない我々は?

「どうせ大金を使う度胸なんてないでしょ?網張るだけ面倒だわ」

そう見切られているのかもしれない。

多少は自由が効いても奴隷であることには変わりはないのかもしれない。

本日のコラムでした。

 

 

 

 

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12月 5th, 2024 by