49歳の司馬遼太郎学 龍馬になれなかったおっさんへ


若い頃から司馬遼太郎先生を敬愛している。

出会いは22歳。新社会人1年目。

シンガポールに行く飛行機に乗る前、成田空港の書店で何気なく手に取った文庫本が「燃えよ剣」だった。

新選組「鬼の副長」と言われた土方歳三の生涯をつづった作品で、一旦読み出すと手が止まらず、7,8時間の行きの機中で全て読み終えてしまう。

上下2巻なのだが、不幸にして成田では上巻しか購入しておらず、旅行中ずっと下巻が気になっていた。

帰国後すぐに下巻を買い、そこから4,5年は司馬作品にどっぷり浸かる。

歴史の「古い順」に言えば、初めて中華を統一した秦、その滅亡後の覇権争いを描いた「項羽と劉邦」(紀元前200年頃)

そこからは日本に舞台を移し、司馬先生が「日本史上空前の天才」と評した弘法大師空海の人生を追う「空海」(西暦800年前後)

鎌倉時代の英雄「義経」

戦国大名のさきがけとなった北条早雲の生涯を描いた「箱根の坂」

そして、ここからは司馬文学の二本柱「戦国」、「幕末」の作品が続く。

戦国で言えば、「国盗り物語(斎藤道三、織田信長)」、「新史 太閤記(豊臣秀吉)」、「功名が辻(山内一豊)」、「夏草の賦(長宗我部元親)」などが有名だろう。

また、これらの有名な大名だけでなく、戦国の世にあって鉄砲の技術だけで戦場を渡り歩いた紀州雑賀衆とそのリーダーである雑賀孫一を扱った「尻啖え孫市」も大好きな作品だ。

幕末では、冒頭で述べた「燃えよ剣」、多くの人のバイブルともなっている「竜馬がゆく」、江戸の侠客 明石屋万吉の破天荒な人生を追った「俄」も捨てがたい。

どの登場人物もとにかく魅力的で、自身の志を遂げるべく躍動する。

1990年代、まだまだ勃興期だったインターネットの世界に入り「世界を変えるんだ!!」と意気込んでいた自分とそれらの主人公を重ね合わせ、一人悦に浸っていたように思う。

今思えば随分と滑稽な話だが・・・

しかし、敬愛してやまない司馬作品群の中に2つの鬼門がある。

「坂の上の雲」と「飛ぶが如く」だ。

若い頃、一連の作品群を読んでいた際、この2つにも触れた。

だが、全く入ってこない。

坂の上の雲は全8巻、飛ぶが如くは全10巻(いずれも文庫本)の長編だが、どちらも1巻を読んだ段階で挫折してしまった。

一つは話がなかなか進まないこと。

人物描写、背景、余談などが続くので、読んでいて飽きてしまうのだ。

この2つの作品の執筆にかかった時、司馬先生は既に「超売れっ子」だったため、「長ければ長いほど良い」という状態だったのではないか。

そのため、司馬先生の「脱線」を出版社も読書もむしろ喜んでいた。そう愚考する。

大変畏れ多いが、後年の読者からすると少々まどろっこしい。

もう一つは組織内部の話であること。

坂の上の雲は日露戦争、飛ぶが如くは征韓論から西南戦争を描いているが、戦争そのものより、そこに至るまでの組織論、その中での政治や対立などの描写が多い。

これも若い自分には良く分からなかった。

むしろ、「うだうだやってないで早く決めろ!!」くらいの感想を持ちつつ、悶々としながら読んでいた。

で、1巻で挫折。

世の司馬愛好家からすれば「全巻制覇」が当然であり、それをベースに短編やエッセイ、紀行文、対談集などを「どこまで拾えるか?」が勝負。

それからすれば私などその入口にすら立てていない。

このことは長らく私のコンプレックスであり、いつかは克服しなくてはいけない人生の課題として残っていた。

で、30代後半に坂の上の雲読了。

あとは飛ぶが如くだけ。

だが、20代の時、坂の上より飛ぶが如くの方が印象が悪く(読みづらい)、どうにもこうにも手が出せずにいた。

だが今年のはじめ、ある司馬ファンの方と痛飲し、司馬論を戦わせるうちに沸々と挑戦心がわいてきた。

「最後の山を登ろう」

そう決意し、10巻全てを購入。

20数年前に弾き飛ばされた第1巻、恐る恐るそれを手に取る。

数分後。

自分でも信じられないくらい、スッとその世界に入っていた。

周りに広がるのは江戸の名残を残した東京であり、そこには大久保が、西郷がいた。

明治維新という難産を経て成立した「日本」は未だ脆弱であり、産みの親たちは自らの命を顧みずに必死にそれを守ろうとする。

しかし、それぞれにはそれぞれの理屈と方法論があり、ついには双方相容れずに悲劇的な結末を迎える。

まさに現代にも通じる人間と人間の対立を巡る葛藤と闘争の物語だった。

生意気にも「余計な話」と断じた余談や脱線も、司馬先生一流の解説が伴うことにより、登場人物や時代背景を立体的に感じることが出来る。

「ああ、ようやくこれが分かる年齢になったんだな」

読み終えてそう思った。

若き頃、司馬作品の登場人物に胸を高鳴らせ、龍馬のように生き、土方歳三のように死にたいと願っていた若者は、無為な時を過ごし、何者でもないおっさんになってしまった。

その分、正論は通らず、組織は常に横暴で、政治という奇妙なものが幅を利かす「世の中」を見てきた。

私だけではない、皆そうだろう。

飛ぶが如くは、そんな「予習」を経てこそ読める作品なんだと思う。

明治初期の日本。成立して数年であるにも関わらず既に権威や各省庁や軍の権益と利権がはびこり、現代の日本と似たような「何も進まない」ような様相を呈していた。

しかし、そこに果然と立ち向かい。己を捨て、組織の中において成すべきことを成す「小さな改革者」

本書はそれらの人物を丁寧に描く。

「まだやれることがあるんじゃないか?」

龍馬にも土方歳三にもなれなかったおっさんに司馬先生はそう語りかける。

ような気がした。

若い頃だけでなく、50歳近くにもなっても学びと気づきを与える。

司馬先生・・・

何とも底が深い大作家である。

本日のコラムでした。

 

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6月 8th, 2025 by