私がAIに熱くならない理由


全てがAIに代用される

そんな時代になるそうだ。

猫も杓子もAI、AIで、やれ〇〇が凄い、だとか、この方面は〇〇が優れている、など、様々なツールの評価や感想を耳にする機会が多い。

私も影響され一通り使ってみてはいるが、確かに「凄い」とは思う。

画像処理系には目を見張るものがあるが、通常のコミュニケーションも優れている。

先日も、細かいことで夫婦喧嘩となり、その顛末をAIに話したところ、解決策として斬新な視点を明示され「うーん、なるほど・・・」と唸ってしまった。

AIはまさに今が黎明期なのだろう。

だが、私自身はさほど熱くなってはいない。

その理由は

「なんかインターネットの始まりに似ているなぁ」

という感想をもっているから。

1990年代後半にインターネットが普及し、私は新卒でネット企業に入ったが、その当時も社会には

「インターネットに乗り遅れてはいけない!!」

的なムードが漂っていた。

確かにネットの破壊力は凄まじかったが、正直なところその頃のインターネットと、数年後のインターネットでは利便性のレベルが違う。

当時、ブラウザはネットスケープ(こんな↓ロゴ。懐かしい・・・)というものを使い、インターネット回線はISDN64kbpsの電話回線。

ちょっとしたサイトを読み込むにも数分かかることもザラ。

ちなみに64kbpsとは現在普及している1G(bps)の1万5000分の1であり、今となっては信じられないほどに遅い。

それが2000年代に入るとメガが当たり前になり、2010年代ではギガが普及してきた。

また当時はインターネットを使うためには、最低限

「パソコンを使えること」

が必須条件で、更にDNS、POP、SMTP、ルーター、モデム、パケットフィルタリング等々、ネット特有の知識と設定スキルを必要とした。

そして、これらのことを知っているだけでも「ネットに詳しい」ともてはやされたものだ。

しかし時は流れ、それらの面倒臭い設定は自動化され、誰でも手軽に使えるようになった。

その最終形がIPhoneだろう。

パソコンを使えなくても、何も分からなくても直感的にネットにつながる。

私がネット企業に入社したのが1998年4月、iPhoneの初期モデルが販売されたのが2007年6月。

私が新卒の時に苦労して身に付けたスキルは、わずか9年のうちに陳腐化したわけだ。

その状況と今のAIの現状はとても「似ている」

知り合いの経営者が、

「AIはこちらのプロンプト(指示)が全て。今のうちからAIネイティブなプロンプトが出せる訓練をしている」

とおっしゃっていたが、これもネット黎明期に同じような現象があった。

要は新技術に「人間が合わせていく」ということであり、AIと付き合うための一定のプロトコル(様式)やスキルを人間側が習得しなくてはいけないということ。

が、おそらくあっと言う間にそんなものは必要なくなる。

確かに現時点ではAIが理解しやすいプロンプトが重要ではあるが、AI自身はそんな指示(明確・曖昧問わず)を日々世界中で受け続け、学習している。

さほどの時を経ずに「この人が言っているのはおそらくこういうことだろう」と推論し、かなりの確度で正解を出してくるようになるはずだ。

それらの成果が結実したAIにおける「iPhone」がいつどんな形で出てくるのか。それは分からないが、そう遠い将来ではないはず。

逆に言えば、今の時点でAIを一生懸命学んだところで、若き日の私と同様、その差別化はあっと言う間に腐る。

「AIがそれなりに使えるようになったら、付き合ってやっても良い」

そう思いながら、私自身は悠長に構えている。

と、こんな言い訳をしながらブームを斜に構えて見ているが、そもそも長年生きてきて、それが「全てAIに代用される」わけなどない。

これからは人間にしかできないことを突き詰めていけば良いだけであり、それは究極的に言えば人と人のコミュニケーションだろう。

その分野で食ってきた身としては、50歳を過ぎてAIにすり寄るより、むしろ「AI不使用」的な、オーガニックなコミュニケーションにこだわりを持った方が良いのでは?とも思う。

ハッと気づけば、テクノロジーに取り残された老害ジジイになってしまう気もするが、まあ、それもそれで一興だろう。

本日のコラムでした。

 

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8月 22nd, 2025 by