私と胃ろう 父と母のケース


高須クリニックの高須院長が触れたことから、「胃ろう」がちょっとした話題となっている。

院長のコメントを引用させて頂くと、

「胃ろうは無駄な延命を増やす悪」との論調に異論を申し述べたいと思います。

僕の癌友の何人もが胃瘻のおかげで充実した余生を送って旅立ちました。

80代の僕のゴルフの師匠は喉頭ガンで摂食不可能になりましたが 胃瘻のおかげで麻雀もゴルフも普通に楽しみながら旅立ちました。

とのこと。

胃ろうとは腹部に小さな穴を開け、チューブ(カテーテル)を通じて直接胃に栄養や水分、薬剤を送り込むもので、医療業界では「PEG(ペグ)」などと呼ばれる。

嚥下機能(飲み込み機能)が低下した患者に行われるもので、口から食べることが出来ない場合の代替手段とされる。

一般的には寝たきり老人などに行われるイメージが強く、そのため前述のような「無駄な延命」のための悪だと捉える向きが多い。

さて、この胃ろう。何の因果が私と縁が深い。

父は胃ろうをせずに亡くなり、母は胃ろうして亡くなったからだ。

9年前、85歳で亡くなった父は75歳を超えた頃から認知症を患い長い間、介護生活を送っていた。

いよいよ寝たきりとなり、ある病院に入っていたが、なかなか思うように食事が取れず、そこで提案されたのが「胃ろう」だった。

医師曰く「食事の介添えは大変。胃ろうの方が簡単に栄養が取れる」とのことで、母と妹は賛成していたが、最終的には私が説得して拒否をした。

ずっとベットに横たわっているだけで、床ずれなども出来ていたし、日に数時間しか目を覚まさない。認知症も進んでいたので、いつも夢の中にいるような印象だった。

しかし一度、胃ろうを付けてしまえば栄養だけはガンガン提供されるため、その期間が長くなるだけ。

医師の説明も病院側の手間を省くためのようにも聞こえたし、事実、その病院には「寝たきり」、「意識なし」、「お見舞い者なし」の「胃ろう老人」がわんさかいて、父にそんな風になって欲しくなかったというのもある。

まさに「無駄な延命」のように感じた。

普段、親しくお付き合いさせて頂いている3人の医師に状況を説明して見解を伺ったが、1人は「無駄かどうかは家族にしか判断できない」と言い、あとの二人は「自分の親ならやらない」と言っていたことも決断を後押しした。

その中の一人が、

「長生きさせることだけが親孝行じゃない。キツイかもしれないが最後の判断をして楽にしてあげることも親孝行だよ。」

とおっしゃって下さったことには、本当に心が救われた。

次に母。

2年前に74歳で亡くなった母は、ALS(筋萎縮性側索硬化症)に罹患し、亡くなる1年前には嚥下機能が低下し、物を食べられなくなってしまった。

そこで医師から胃ろうを勧められたのだが、この時は「付ける」という選択をした。

かなり自由が効かなくはなってはいたが、まだ体は動いていたし、そもそも食べられないのであれば餓死してしまう。

「餓死は辛いですよー」

という医師からの容赦ない一言もあり、本人も私も了承した。

と、言うことで母の胃ろう生活が始まったのだが、「簡単」が売りの胃ろうは実際のところかなり面倒ではある。

カロリーメイトをドロドロにしたようなものをデカい注射器で吸い、それをお腹からピョコンと飛び出ているチューブに装着。グッと押し出して入れるのだが、腹圧の抵抗もあるため結構な力が必要で「簡単」からは程遠い。

点滴スタイルで入れる方法もあるが、これも1,2時間はかかり、その間はその場から動けない。

付ける前は「好きな食べ物をミキサーにかけて入れることも出来る」などと説明されたが、とてもとても・・・・

肉や野菜の繊維でチューブがすぐに目詰まりを起こすので、結局何度か挑戦したものの挫折した。

そんなこんなで1年ほど胃ろう生活を送ったが、もしこれをやらなければ1カ月ほどで亡くなっていただろうから、結論としてはやって良かった。

もちろんこれも「延命」ではある。

しかし、父の場合とは状況が違う。

あくまで個人的な考えだが、まだ体が動いて「食べられない」だけがネックなのであれば胃ろうは良い解決策だし、または仮に寝たきりであっても「生きていることに価値がある」と本人が考えるのであれば、それもまた胃ろうが活きる。

逆に本人の認知機能も低下し、何も出来ない状態であるにもかからず、家族の「死んでほしくない」という願望。

もしくは医師からの提案に「付けないと言ってしまうと、自分が殺したような気がする」という罪悪感だけで、安易にこの選択をするのはどうかな?とも思う。

だが、この願望も罪悪感も、私自身が経験者だから良く分かる。

アドバイスをくれた医師の知人がいなければ私自身もどう判断したか分からない。

また、先に挙げたように現役の医師も「無駄だ」と思っている人が多いのだが、かと言って「選択肢として提示しないわけにはいかない」という事情もある。

このあたりは個々人の死生観やリテラシーにも関わってくるので「これが正解」とは一概には言い切れない難しさがある。

このあたりの判断は個々人に任せるのではなく、いくつかの条件(体が動く、認知機能が正常など)に該当していなければ「胃ろうを保険対象外」などにする。等々の「制度」で決断する方が良いようにも感じる。

実際、欧米などでは高齢者には胃ろうという選択肢自体がほぼないので(自費治療は可能)、であれば迷う必要もない。

 

胃ろう自体はただの医療的処置であり、悪でも善でもない。

それは母の件で身をもって知っているが、同時にそれが乱発されることで「不幸な延命」が多く発生していることも父の入っていた病院で見た。

なかなか難しいテーマではあるが、多くの方がこのことを知り、議論が巻き起こって「より良い形」が模索出来ればと思っている。

本日のコラムでした。

 

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3月 21st, 2026 by