カルフォルニアから来た娘症候群って知ってる?


「カルフォルニアから来た娘症候群」

始めて聞いた方も多いと思うが、AIの要約は以下の通り。

「カリフォルニアから来た娘症候群」は、長期間介護に関わらなかった遠方の家族(主に娘や息子)が終末期に突然現れ、現場の話し合いで決めた方針(看取りや延命治療中止など)を翻し、過度な延命治療を強要する状況を指す。

1991年にアメリカの医学会で報告された事例に由来しているそうで「カルフォルニアから来た娘」というのは遠方(距離的、心理的)から来た親族を指す「比喩」とのこと。

なお、なんとも不名誉な言葉に名指しされているカルフォルニアでは、同様の現象を「ニューヨークから来た娘」と表現するそうだ。

あるお客様からこの「症候群」の話を聞いた時、妙な納得感と多少の後悔がよぎった。

まず、納得感については、似たような事例を数多く見てきたからだ。

保険屋という仕事柄、重い病気や怪我に苦しむ方に接する機会が多いが、やはり事情も知らずに自分の考えを押し付ける「善意の」は結構いる。

親や兄弟、子供、友人など、場面によって登場人物は様々だが、その病気や怪我のことに対してさほどの知識もないのに、

・諦めるな!!と根性論を叫ぶ。

・まだ道はある!!と主張し、その分野の名医の受診を勧める

などなど。

当の本人は別に諦めてはいないが、現実として病はあり、紆余曲折ありながらそれを受け入れただけなのに、第三者からは「諦め」と取られ、妙なテンションで励まされる。

これもなかなかシンドイものだ。

また、これもよく勘違いされているが、正直なところ「名医」というのは存在しない。

「しない」と断定するのも良くないのかもしれないが、今の日本の医療の現場ではほとんどの病気の治療法はマニュアル化されており、その分野の医師たちに共有されている。

もちろん勉強不足、技術不足で「ダメなドクター」もいるにはいるが、一定レベル以上であればそこまでの差はない。

敢えてそれらを数値化するとすれば、90と98、中には105くらいのドクターもいるだろうが、所詮はその程度の違いであり、200とか300とか、そんなブラックジャックみたいな医師は存在しない。

無論、能力は高いに越したことはないのだが、それを探しあてるまでに要する時間やコストを考えれば、「家の近くの90以上」で十分であり、むしろ多少の能力の差よりもコミュニケーション能力が高く、自分に合う先生に面倒を見てもらう方が納得感がある。

そのことも知らずに「どこどこにこの分野のスペシャリストがいる。診てもらえ」などとアナウンスするのは、何とも無責任な話でもある。

なお、「口にしているだけ」ならまだマシだ、が時に決定権を持つ人間がこれらの主張をした時、まさにその人が「カルフォルニア」になってしまう。

結果、引っ搔き回すだけひっかきまわし、状況は悪化していく。

 

と、こんなことは重々承知していたのだが、当の自分自身が「カルフォルニア」になってしまうことがあった。

それも3回も・・・

1回目は父の介護。

父は75歳を過ぎたころから認知症になり、母が10年間介護をしていたのだが、たまに実家に帰ると

「その方法よりもこっちの方が効率が良い」

などと上から目線で指摘をしていた。

また、父の最後の最後、母と妹は父の延命治療を希望していたが、やや強引に私がそれを打ち切った。

この判断自体は今も「正しかった」とは思ってはいるが、どうせ死ぬなら長年面倒を見た母の意向を尊重しても良かったかもしれない。(その分、父は苦しんだだろうが)

それまでの当事者たちの意思を顧みず、逆の主張をしたという点では「カルフォルニア的」であろう。

2回目は母の介護。

この時は、メインの介護者は私だったので、バリバリの当事者でもありその点からすれば「カルフォルニア息子」ではないのだが、介護方針や日々の生活で起こる様々な問題について、仕組みやITの力で「根本的に」解決をしようとしていた。

例えば、母は当時、一人暮らしをしていたが、何か問題が起こった場合にすぐに状況を把握できるように部屋にリモートカメラを設置するように提案。

しかし、母は嫌がった。プライベートもあったもんじゃないからだ。

だが、最終的には設置した。

仕方がない面があるにせよ、今になって思えば介護における様々な「枝葉(現象)」を解決することだけにフォーカスし「根っこ」にある母の気持ちを理解していなかったようにも思う。

3回目は娘の中学受験だ。

これも、妻と娘が二人三脚で取り組んでいるところに、たまに気まぐれで絡んでは、

「受験に対する取り組み方の根本が間違っている!!」

と大上段から持論を述べ、目標から逆算して日々の行動を!!等々、偉そうに講釈を垂れていた。

厄介な第三者だ。

このような「過去のカルフォルニア」を今更ながら俯瞰するに、ベースにはこんな感情があったように思う。

・周りは問題を解決する能力がない。もしくは問題を先送りしている。

・自分の決断こそが最良

・たとえ嫌われ者になっても自分が「決め」ないといけない

・それが相手(父、母、妻、娘)のためなのだ!!

もちろんすべてを悔いているわけでもないし、私は私でその時々の問題に対処してきた。

だが、介護や受験という「家族の問題」に対して、それをまるでビジネスのように考え、合理的なアプローチばかりを重視した結果、関係者の感情面を軽視していた面は否めない。

「自分だけが正しい」

という思い込み。それがカルフォルニアの本質だろう。

だが、そんな人間は私だけではない。

特に社会でバリバリと働くビジネスマンこそ同じ穴にはまりやすい。

「あれ?俺、今、カルフォルニアから来てないか?」

ふとした時にそう思うことで、今後は自身を律したい。

本日のコラムでした。

 

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2月 20th, 2026 by