保険の仕事をしていると、とかく人の「死」に関わる。
そのためなのか。
「人はいつか死ぬものだから」
「さよならだけが人生さ」
43歳にしては随分と抹香臭いことを口にするようになる。
我ながら嫌になるが、色々な「死」を見ているとそうも思いたくなる。
二年前に84歳で他界した父などは、本来であればもっと早く「あちら側」に行っても良いくらいで、最後の最後までしぶとく粘って周りを驚かせた。(それはそれでありがたいことだが)
一方、お客様の中には、まだヨチヨチ歩きの幼いお子さんを残して40代であっという間に亡くなったり、30代という若さでお子様も含めたご家族全員が事故で亡くなるような方もいた。
そんな「生死のコントラスト」
人の生き死にはルーレット
陳腐なフレーズだが、それがこの仕事を15年間やってきた実感でもある。
今でも鮮明に覚えている。
保険の世界に入って数年目。
朝、会社に行くと、携帯に知らない番号から電話がかかってきた。
「昨夜、主人が亡くなりまして。」
ご契約者の奥様からだった。
40代前半。心筋梗塞。
「えっ?あっ、はい」
それまでお客様の前では偉そうに生命保険の必要性を語ってきたのに、いざその場になったら脳がフリーズして言葉が出ない。
そんな姿を、当時の上司が横で見ていた。
「狼狽えるな。まずは保険金支払いの部署に連絡して手続きを確認しろ。必要書類と、その書類はどこの窓口で貰えるか?そこには何を持っていく必要があるか?」
はい、はい、と頷き、メモを取る。
「手続きを把握したら会社の書類を持ってすぐに自宅に行け。全てのアポに優先しておこなえ」
「スーツはそのままで良い。黒いネクタイだけしていけ。ネクタイはあるか?ないなら俺のを貸してやるから、これをしていけ」
机の中には常に葬儀用のネクタイが入っている。
上司の指示通りに事務をこなし、奥様に連絡。その日の夕方に約束を頂く。
会社を出る直前、その上司にこう言われた。
「お客様の前では涙は見せるな。プロなら泣くな。ハッタリでも良い。『万事、私に任せておいて下さい』自信満々にそういう顔をしろ。いいか?」
「こういう時のためだけに俺たちは飼われているんだぞ。」
普段は何とも適当な人だが、あの時の言葉は今でも忘れない。
以来、10人近いお客様が亡くなり、関係が近い人も、遠い人もいたが、一度も涙を流したことも、手続きをミスしたこともない。もちろん支払いが出来なかったこともない。
どんな仕事でもそうだが、だんだんと「プロ」になっていくのだ。
先日、その上司が亡くなった。
肺がん。
まだ50代前半だったが、見つかった時には末期で手の施しようがなかったそうだ。
私もその上司も一緒に働いていた保険会社を既に去っていたが、共通の知人から聞いて、まだ亡くなる前にそのことを知った。
「心配されるのが嫌」
という当人の考えで、周りには「極秘」とされていたので、私の耳に入ったのもほんの偶然だったのだが「もう長くはない」そう聞いて病院に見舞う。
事前に言えば断わられるかもしれない。
何も告げずに突然訪問したが、
「おお、なんだ?誰から聞いた?」
と、意外と嬉しそうな様子に安堵した。
独立してどうか?上手くやってるのか?
相変わらず世話好きな人柄を覗かせる。
飯は食えてるんですか?
いやー、なんかこの病院のご飯、ダンボールの味がすんだよ
嫌がらせでダンボール混ぜられてるんじゃないですか?
後で厨房に文句言っておきますわ。
でも、そもそもダンボール食ったことあるんですか?笑
当たり障りのない「下らない話」で場をつなぐ。
琴線に触れるようなことは聞かない。言わない。
しかし、鎮痛剤の効果なのか、時折、目を瞑り夢の世界へ。
あまり負担をかけても。そう思いベット脇の椅子から立つと、それに気付き、
「おお、悪いな。今、寝てただろ?忙しいのに今日はありがとな」
そう言って右手を差し出す。
前職の保険会社は外資系だからか、やたらと仲間うちで握手をする文化だった。
懐かしいな。
そう思ってその手を握ると、末期のがん患者とは思えないくらい強い力で私の手を握り返す。
病で痩せ細った身。
その身体のどこにこんな力があるのか?そう思うほどの力だった。
「また来ますよ。」
そうは言ったが、もう来ることはないだろう。
確固たるプライドを持っている人だ。
ここから先の姿は元部下に見られたくないだろうし、それに残されたわずかな時間は家族とのもの。他人が邪魔するべきではない。
今日だって自分のわがままで押しかけた。
それを笑って迎え入れてくれたことに感謝するしかない。
今生の別れ。
そのつもりで病院を後にする。
そして、その2週間後、この世を去った。
安らかな最後だったそうで、それだけが救いだ。
お見舞いからの帰り道、共通の知人から「どうだった?」という電話が入る。
話を聞けば、ちょうどその前日、がんによる痛みを抑えるモルヒネが自身の体に入り、余命いくばくもないことを当人も理解したらしい。
こちらだけじゃなく、ご本人も最後であること知り手を差し出した。
あの握手は「さよなら」かもしれないし「ありがとう」かもしれないし「頑張れよ」ということなのかもしれない。
しかし、力強さと、何より手の温かさから「何か」は伝わった。
そう思うと、涙が止まらなかった。
お客様の前では泣くな。
そう言われたが、「仲間」なのだから別に構わないだろう。
病院の最寄りの駅までの道すがら、すれ違う人たちが奇異の目を向ける。
そりゃそうだ。
おっさんが涙を流しながら嗚咽して歩いている光景は不気味で、そんなものを見せて逆に申し訳ない。
50代前半。いくら何でも早すぎるが、
「さよならだけが人生さ」
そう言って諦めるしかない。
こうしてまた線香臭い男になっていく。
いっそ坊さんにでもなろうかと思う今日この頃だが、厳しい戒律なんてとても守れそうもない。せいぜい保険屋が関の山だろう。
本日のコラムでした。
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