虐待の末の「名文」はあまりにも切ない


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昨夜、20時過ぎに自宅に戻り、子供たちの夕飯の残りをつまみに一杯やっている最中、テレビで東京・目黒区の5歳。結愛ちゃんが虐待で亡くなり、その母親が逮捕されたニュースを見た。

朝の4時に起こされて、毎日、ひらがなの練習。

 

ママ もうパパとママにいわれなくても しっかりとじぶんから きょうよりかもっと あしたはできるようにするから もうおねがいゆるして ゆるしてください おねがいします

ほんとうにもうおなじことはしません ゆるしてきのうぜんぜんできなかったこと

これまでまいにちやってきたことをなおす

これまでどんだけあほみたいにあそんだか あそぶってあほみたいだからやめる もうぜったいぜったいやらないからね ぜったいやくそくします

もうあしたはぜったいやるんだぞとおもって いっしょうけんめいやる やるぞ

 

自身の娘も同じ5歳。

どうにも他人事に思えず、更には酒も入っていたせいもあり、この文章を聞いて涙が溢れてきた。

そして、これを書くことがどれ程大変か私には分かる。



少々話が逸れるが、私自身、軽率な性格と言動のせいで、過去に上司やお客様の逆鱗に触れて何度も反省文的な文章を書いてきたが、そこで重要なのは

「何が悪かったのか?という自己分析。甘え、弱さを認めること」

「今後どうするのか?という具体的な行動及び目標」

「決意表明」

これらを踏まえた上で、冒頭、中間、最後。3か所くらいで謝罪の言葉を述べる

とされる。

これは別段自分で考えたことではなく、謝罪のルールを解説した本にはだいたい同じことが書いてあり、

「人が人を許す」

プロセスを踏んだものなのだが、その点、この文章は悲しいくらい「ルール」を守っている。

おそらく、この手前には何十ものプロトタイプの「反省文」がある。

それらを推敲した結果、

「この構成が、一番親の怒りをなだめられる。」

そう考えて自力で辿りついた「文体」で、一発目からこれを書けることは絶対にない。

きっと頭の良い子だったのだろう。

5歳の子供が親の虐待を和らげるために必死に文章を練る。

考えただけでも悲しい。

だが、当然、この子が謝る理由は何一つないし、特に「遊ぶのが仕事」の5歳の子供が

「遊ぶって、アホみたいだから」

と書けるものなのか?。。。

更にこの文章には5歳の子供が謝罪の時に当たり前に使う言葉がない。

「ごめんなさい」

それが一切なく、更に踏み込んだ「許して下さい。」という、相手に媚びる主従臭の強い言葉が連呼される。

子供なんて「ごめんなさい」が出ればそれで終わり。何事も帳消しになる魔法の言葉のはずだが、悪魔のような人間にはその魔法はきかず、ただただすがりつくしかなかった。

5歳の女の子が残した「名文」は何とも切ない。

本日のコラムでした。



6月 7th, 2018 by