単純な問いだ。
回転寿司。子供にカッパ巻を頼ませるか?
これに関しては議論など要らない。
頼ませない。
それが私の結論であり、我が家のルール。
同じ価格ならマグロかイクラを食え!!そう言いたい。
なお、カッパ巻の親類縁者として、干瓢巻、納豆巻もご法度となっている。
一度、上の娘が「だったらお新香巻は良いのか?」という変化球を放ってきたことがあるが、
胸に手を当ててよく考えろ!!
そう打ち返してやった。
カッパ、干瓢、納豆がダメだと言っているのに、お新香が良い理由などあろうはずがない。
相手の思考を見抜ける人間であれば、そのことが分かるはず。
幸い本人もそのことに気付いたようで、それを注文することはなかった。
しかし、5歳の息子にはまだ難しいのか、ふと気づくと、レーンを流れる「いなり寿司」に手が伸びている。
い、いなり!?
皿を取る寸前のその手を「早まるな!!」とばかりに掴む。
ハッとこちらを見るその眼には、越えてはならぬ一線を「越えたか?」という恐れ、そして、理解不能な「ルール」への静かな怒りが相交じっている。
実のところ、この父も、何故にいなり寿司がダメなのか?という点、明確な論拠は。ない。
ただ、ダメなものはダメなのだ。
何とうるさい親父だろうか・・・
そう思われる方も多いだろう。
当然ながら、
「子供が食べたいものを、好きに食べさせてあげれば良いじゃないか」
そういう声もあるだろうし、その考え自体、否定はしない。
だが、私はそうはさせない。
「好きに食べる」
こんな難しいことはない。そう思うからだ。
社会人になって、目上の人から、
「何でも好きな物を食べなさい」
そう言われる場面がある。
だが、これ。真に受けてはいけない。
特に寿司屋では要注意。
昔、こんなことがあった。
ある会社の社長さんが、出入り業者を招き宴会を張ってくれた。
お寿司屋さんだった。
その会社にお世話になっている各社の営業担当が集まり、業者は違えど、親睦を深める場。
私は先輩と2人で参加していた。
ここでも例の決まり文句「何でも好きな物を」が社長から発令されたのだが、当然、遠慮する。
「社長におまかせします」
と皆が連呼することになるのだが、そういうのを嫌う人もいる。
この社長もそのタイプで、過度な遠慮は、場の雰囲気を壊してしまうので、このような場合「前に出る」必要がある。
そこで先輩が、
「私、◯◯に目がないのですが、社長、頂いてもよろしいでしょうか?」
そう口火を切ると、社長も「おお、良いよ。」と上機嫌に応じた。
だが、この時のオーダーが難しい。
高すぎれば生意気、安すぎれば卑屈になるからだ。
また「そんなもの家で食えよ」というようなものも危険。
要はカッパ巻きだ。
金を払う方からすると「ご馳走してやった」という満足感もあり、かつ、そこまで高くもないもの。
つまりコスパの良いものがベストなのである。
ちなみに、その時先輩が「目がない」と言って頼んだのは「トロたく巻」だった。
実際にはさほどの好物でもないらしいが、これなら値も張らないし、皆で摘める。
流石のオーダーと言える。
それが呼び水となり、各参加者がそれぞれ「では、これを」と注文し始める。
しかし、場も温まったころ、ある営業マンが暴走した。
歳の頃合いは30歳前後、確かシステム関係の営業だったと思う。
育ちが良いのか、世間知らずなのか分からないが、ある程度酒が入った途端、本当に「好きなもの」をオーダーし始めた。
まさに、トロ、トロ、ウニ、ウニ、イクラ、イクラ、という感じで、社長も「ここのトロ美味いだろ?」などと鷹揚に応じていたが、店を出て分かれ際「育ちが出るなぁ」と小さく呟いた一言を、私は聞き逃さなかった。
このような場での「ああ、こういう奴なのね」という悪印象は意外と尾を引く。
もちろん「好きに食え」と言ったのだから、悪いことをしたわけではない。
また、本当に好きに食っても許される人もいれば、何となく「意地汚いな」という印象を持たれる人もあり、このあたりはキャラクターにもよるのだろう。
だが、いくら「好きに」と言っても、そこにはスポンサーの意向という「ルール」が存在する。
自由演技であっても、結局は採点されるのが世の常。
しかし、この基準。明文化されたものではなく、スポンサーの思考・価値観から「このあたりか」と推測する必要があり、何とも難しい。
なお、先の「トロ、ウニ、イクラ君」も、結局はその後、契約を切られた。
それが、彼の「自由演技」への採点結果だったのかどうかは分からないが、少なくともプラスには働いていないだろう。
以上のことから、父は子供たちにカッパ巻を許さない。
同じ値段ならマグロを食え!!カッパ巻なんぞ家で食え!!
ストラクゾーン低めギリギリでアウトのいなりでも、そこに数粒でもイクラが載っていればストライクになる。
そんな難しい勝負をさせ、将来、恥をかかぬよう、仮想敵としての父、その価値観を読むことを強いる。
と、こんなことをやっていたからだろうか・・・
先日、子供2人、3人で回転寿司屋に行くと、上の姉が「タコの後にタコ」という、まさかの同じボールを2度放ってきた。
単にタコが気に入っただけかもしれないが、と言うよりは、気難しい父の表情を読むのに疲れ、
「一度通ったものなら問題ない」
と置きに来ている感じだった。
流石に不憫に思い
「好きなものを食べなよ」
そう語りかけると、消え入るような声でこう言った。
「茶碗蒸しが食べたい・・・」
茶碗蒸し・・・寿司ネタでもない、ある種、牽制球のようなもの。
子供にすれば難しい判断だろう。
茶碗蒸しはどう思われるだろう?・・・
そんな本音を押し殺し、タコを放り続けた娘の心。
店を出た後も、娘は茶碗蒸しが旨ったことを何度も言い、その都度、心が痛んだ。
人の価値感を察し、それを尊重する。
社会に出れば重要なスキルではあるが、そんな「読む力」は誰かの価値観を押し付けることで育まれるわけではない。
何より、回転寿司屋で子供を怖がらせてどうする。
そんなことを思い、反省した。
それでも、次回、子供がカッパ巻を頼んだら不機嫌になってしまいそうな自分がいて、そんな狭量が恨めしい・・・
本日のコラムでした。
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