キッチンジローと私


なんとも悲しいニュースが入ってきた。

都心を中心に展開している洋食チェーン「キッチンジロー」が15店中、13店舗を閉店するとのこと。

10月以降は、九段下店、中之島フェスティバルプラザ店の2つのみが残る。

中之島店は大阪なので、都内には九段下店だけということになるが、九段下店は「挽肉バル」という新業態の店舗なので、男臭い「キッチンジロー」は、実質的に姿を消すことになる。

22歳、新卒で入ったIT企業のオフィスが神田錦町にあり、歩いて数分のところに「ジロー錦町店」があった。

当時は夜の10時、11時過ぎまで仕事をするのが当たり前だったので、夕方7時頃になると、同期や先輩などとジローで腹ごしらえをする。

店は他にもあったのだが、安くてボリュームがあるジローに何となく足が向く。

デフォルト(初期設定)でジローに行くので、仲間内では「デフォルトジロー」略して「デフォジ」などと言っていって、

「夕飯どうする?」

「デフォジで良いんじゃない」

こんな会話を週に3,4回して、そして実際に週に3,4回はジローでご飯を食べていた。

メンチカツ+スタミナ焼が私の定番で、そしてよく一緒に行っていた同期は「金玉が元気になる」という良く分からない理由でカキフライばかり食っていた。

22歳から生保業界に入る28歳までの6年間。

週3回だとしても、

3回 × 50週(1年) × 6年間 = 合計900回

はジローしていた計算。

なお、こんなもんばかり食っていたので、この6年間で体重は20kg近く増え、生命保険会社に移る時には体重100kgオーバー。

別の意味で「超大型新人」などとバカにされる。

まあ、何にせよ青春の味だ。

そんなジロー。

保険業界に入ってから、

「保険の契約をしてもらえないだろうか?」

と画策したことがあった。

保険会社に入社して2,3年。(2007年頃)

ありがたいことに契約数は増えていたのだが、その全てが個人のご契約だった。

しかし、飛び抜けた実績を出していた先輩たちは法人マーケット(法人契約)で仕事をしていて、その人たちが、

「PLが、BSが、内部留保が」

などと難解な話をしている。(今、思えば別に大した話でもないが・・・)

「格好良い!!俺も法人マーケットに行きたい!!」

そう思ったが、何の伝手もない。

そこで、ある先輩に相談したところ、

「お前が好きなこと。それを仕事にしている人のところへ行け。熱意は通じる。」

というアドバイスを貰った。

好きなこと = 食べること

という単純発想で、美味しいものを食べた時にはその感想を手紙にして、店主に送ったりしていた。

「あなたが作る料理は一流です。一流には一流の保険が必要です。一度話を聞いて下さい。」

今考えれば狂気じみた文章だが、これも若さ故に出来ることだろう。

しかし、不思議なことに話を聞いてくれる方もいて、実際にそこから念願の法人保険のご契約も頂けた。

やはり熱意は通じる。

そうなるとジローは外せない。

なんせ6年間通い詰めたのだから。

ちなみにキッチンジローの創業者である小林二郎社長は当時「ジローおじいちゃんのブログ」というものをやっていて、手紙を書くにあたり、その内容を読みこんだ。

二郎氏は昭和10年生まれ。

終戦直前の昭和19年、9歳の時にお父様とお母様を相次いで亡くし、ご自身も16歳の時に肺結核で生死をさまよう。

そんな壮絶な経験を乗り越え、29歳(昭和39年)の時、ご自身の名を冠した「キッチンジロー」を神保町にオープン。

たった4坪の店。

その後、店舗を拡大し、最盛期には直営、FCを含め50店を超すまでの洋食チェーン店に成長させた。

また、小林社長はアイディアマンで、洋食に欠かせない玉ねぎ、その皮むきが、現場の負担になっていることに着目し、全自動玉ねぎ剥き機「玉ジロー」の製造にまで乗り出している。

「玉ねぎの皮むきは涙が出るし、現場のパートさんも大変」

そんな軽い気持ちから、ポケットマネーで試作機を作ってみたが、全く上手くいかず、開発までになんと12年。最終的な開発費用は2億円を超えたそうだ。

ちなみに、この装置は今でも「株式会社 玉ジロー」が販売を続けている。

こんなリサーチをして「是非、この人に会ってみたい」と思った。

自らのあふれるジロー愛を手紙に込め、祈るような気持ちでポストに投函。

なお、当時は投函する前「念を込める」とばかりに、手紙に向かって二礼二拍手一礼をしていた。

そして、数日後、本社にお電話。

「社長をお願い致します。」

「どのようなご用件でしょうか?」

「手紙の件。そう言っていただければおわかりになるでしょう。」

しばらくの間・・・

「すいません。飛び込みの営業はご遠慮しております。」

電話番の女性にあっさり断られる。

まあ、当然だろう。

と言うか、今となってはあの不気味な手紙を小林社長が読まなかったことを祈るばかりだ。

しかし、若さとは何とも身勝手なもの。

断られると逆にジローが憎くなってくる。

可愛さ余って憎さ百倍理論である。

「ファンを大事にしない店に未来はない!!二度と食ってやるもんか!!プンプン!!」

勝手に手紙を書いて、勝手に嫌いになる。

もうこのあたりはストーカーと変わらない。

しかし、すぐに機嫌を直し、変わらず定期的に通うことへ。

やはりジローへの愛と忠誠心は揺るがないのである。だって旨いから。

とは言え、揚げ物が中心の店。やはり重い。

私自身も30代後半からは足が遠のき、この7,8年はご無沙汰してしまっている。

固定ファンの中にも同じような人が多いのかもしれない。

2010年代に入りジローは凋落していく。

私が手紙を書いたのは2007年頃。

当時、小林社長は既に73歳で、ブログにも「一度は引退したが、業績悪化により復帰した」という旨の記事があったが、生き馬の目を抜く飲食業の第一線でやるにはあまりにも高齢だったのかもしれない。

2010年を最後にプログの更新もなくなり、同時期に小林二郎氏のご長男が社長に就任したが、店舗減少は止まらず、結局、2018年2月には九州地区を地盤とするファミリーレストランチェーン「ジョイフル」の傘下に。

ご長男も経営から身を引かれた。

そのジョイフル自身も、このコロナ禍によりグループ774店舗中、200店舗の閉店を決めるような事態であり、その一環でのジローの閉店なのだろう。

企業の栄枯盛衰。

人の死と同様、それが仕方がないことは、この仕事を通じて嫌と言うほど知っている。

それでも「いつでもそこにある」と思っていた店がなくなるのは、やはり寂しい。

普段は行きもしないのに、我ながら身勝手なものだが・・・

特に思い出深い「キッチンジロー 錦町店」が閉まるのは9月末日。

それまでには一度お邪魔し、昔を思い出しながら、ビール片手にメンチカツ、スタミナ焼きを楽しみたい。

本日のコラムでした。

 

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9月 5th, 2020 by