ノーマスクに向けられる視線に思うこと・・・


本日、連休中でネタがないということもあり、少々、私的な考えについて述べたい。

最近、街を歩いていると、ついこう思ってしまう。

アフターコロナの世界は・・・

社会も、呼吸も息苦しくなっただけじゃない?」

と。

コロナが収束するとともに、一時期もてはやされたリモート業務も、一部の業界を除いて収束。

多くの企業で「皆んな会社来い!!」の大合唱で、電車の混雑は元通り。

そして皆が外でもマスクをする。

その影響なのか・・・

コミュニケーション力の低下や、かからないといけない病気にかからないリスクなど、子供のマスク着用に様々な弊害があると指摘されているにも関わらず、学校での着用義務がなくなる気配は一切ない。

これも個人的なことだが、最近、外ではマスクを外して歩いている。

子供に望むならまずは自分から、ということで、通常の街を歩いているときくらい、ノーマスクで通している。(当然、屋内ではしている)

だが、同じような人はほとんど見かけない。

たまにマスク未装着の方を見ると、歩きタバコや、歩き缶チューハイをしている「論外」の人ばかりで、こんなバカと一緒にされるのも何だかなぁ、という気もするのだが、マスク装着者からすれば、私も似たようなものなのかもしれない。

変われない日本。一度始めたことをやめられない日本。

そしてルールばかりが増える日本。

もちろん

「そんな国民性だから、コロナの被害を最小限に抑えられた」

ということも重々承知しているし、高齢者ほど訳知り顔でそんなことを言う。

だが、そんな時、私はこう反問する。

「自分の良いところ3つ挙げてみて下さい」

と。

次にこう問う。

「では、自分の悪いところを3つ」

この良し悪し3つ。

どちらも同じになる。

真面目の裏返しは、融通が効かない。

怒らないは別名、怒れない。

優しいの裏面は、甘いだ。

メリットも行き過ぎればデメリット。表裏一体。

それは社会も人間も同じ。

そして今はデメリットだけが残った。

あともう1つ。

金をばら撒いたお陰で、すんごい借金も残った。

1218兆4330億円

MMT理論とか「BS上は負債と資産がイコールだ」とか、いくら言ったところで借金は借金。

誰かがいつかは返さないといけない。

そして、その「誰か」は日本人以外にはあり得ない。

お互いをお互いで縛り合うM気質な国民性。

桁違いの借金。

さて、この国に生まれたことは、果たして良いことなのだろうか?

イメージ的には「落ちぶれた名門旧家に生まれた」という感じがしている。

世の中(世界)には飲まず食わずの家(国)も沢山ある。

理不尽な暴力に怯える家もある。

しかし、こちらは名門旧家。

食べるものに困ることも、身に危険が迫ることもない。

まだマシだ。

この家に生まれたことは、さほどのプラスでなくとも、決してマイナスではない。

だが家は借金まみれで、プライドばかり高い金食い虫の親戚が大勢いて、何をするにしてもやかましい。

「お家の再興」など一代では到底無理。

こんな家の子供が目の前にいたら、私ならこう言う。

「そんな家捨てて、自由に生きなさい」

そして、この言葉、そのまま我が子にかけねばならないであろう。

こんな国は捨てて、広い世界に出なさい。と。

もちろん「こんな国」には、そんな国にドメスティックに生きてきた私や妻も含む。

子に国を、自分たちを捨てることを望む親。

だからこそ私は外でマスクを外す。

自分の考えが間違っていないこと。

私に向けられる怜悧な視線がそれを証明してくれるから。

本日のコラムでした。

 

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5月 7th, 2022 by