小学校5年生に夜9時まで勉強させる意味


我が家には小学校5年生の娘と、小学校1年生の息子がいる。

上の娘は中学受験を志望しており、そのため学習塾に通っているのだが、まあ、とにかくハード。

週に3回、毎回夜の9時ごろまで拘束され、かつ毎週末に試験があり、更に数ヶ月に一度、全国統一模試のようなものもあるので、週によっては2回もテストを受けている。

私も妻も中学受験組だったため、三十数年前に自身も経験はしているのだが、「厳しさ」という面では今とは全く異なる。

このような中学受験に対して、賛成する人もいれば、反対する人もいる。

賛成する人のほとんどは、我が子を私立に入れた方々であり、やはり都内にはそのような方が多い。

曰く「勉強する習慣がつく」、「同じ価値観で選抜された仲間と一生の友情が育まれる」、「高校受験をしなくて良いので、大学受験にじっくり取り組める」などなどで、それなりの説得力はある。

だが、元も子もないことを言ってしまえば無料の公立より、有料の私立の方が環境面、教育面で「良い」のは当たり前だろう。

親としては「なるべく良い環境で」と考えるのはごく自然なことであり、そうなるとあとはお金の話。

出せるなら行かせてあげたいし、出せないなら諦めるしかない。

また地域的な話もある。

都市部では私立校の選択肢が多いが、郊外ではそうではないし、むしろ私立より公立の方がレベルが高いというエリアも多い。

つまり、経済力、住んでるエリア、この2つによって「中学受験」という選択肢が発生するのだが、この場面でそれを選ばないのは「やってあげられるのに、やらせない」という親の罪悪感を喚起することになる。

実際、自分自身の気持ちを考えても、それに近い。

一方、それに反し、中学受験を肯定出来ない自分もいる。

前述の通り、中学・高校と多感な時期により良い環境で色々なことを吸収して欲しいという思いは本心であり、誤解を恐れずに言うなら「公立よりは私立の方が良いよね」と感じている。

しかし、その場に辿り着くために、子供の頃から四六時中机に向かわせないといけないわけで、先に述べた「やらせてあげられるのに・・・」という罪悪感を解消することが「子供にここまでやらせる意味があるのか?」という別の罪悪感を生むという矛盾に親は苦しむ。

反対派の意見もほぼこの見解と同じ。

「何も子供にそんな思いをさせてまで」ということであり、受験を強いる親自身も「おっしゃる通りです」と納得してしまう。

これらのことは「正社員」という日本独自の制度と言うか、悪癖に起因しているのではないか?最近、そうも思う。

良い大学、良い会社。

昔から使い古されてきたフレーズで「今はそんな時代ではない」などと言う方もいるが、むしろ今の方が「そういう時代」であり、その傾向は一層加速しているように思う。

それなりの大学を出て、それなりの企業に入ってしまえば、イコール「40年年金確定ゲット!!」という感じで、その身分は保障される。

そのためなのか、大企業には20代後半ですでに老成しているような若者が多いし、40代、50代で既得権を謳歌し、給与に見合った仕事をしていなような人もたくさんいる。

仮に正社員制度が無くなり、終身雇用的な概念が消えうせたとしたら、果たして親たちはここまで「良い大学」にこだわるだろうか?

より専門性、手に職をつけるような方向に変異するようにも思う。

正社員になるための第一歩の中学受験。

だが、ここにも矛盾がある。

我が子に「22歳の時がピーク」というようなつまらない人間になって欲しいか?と問われれば、もちろんそんなことはないからだ。

自分なりのスキルと野望をもって、世の中を力強く生きていって欲しい。

だが、どんな教育をすればそうなるのか、これもよく分からない。

むしろ、その気になれば大企業に入れるくらいの底力がなければそんな生き方は到底無理だろうし、その点では勉強をすること自体に意味はある。

で結局は「まあ、やるだけやってみれば」的な曖昧な思考で中学受験に足を突っ込むことになるのだろう。

もしダメでもそこそこの会社に入ってくれれば・・・・

そのために、少しでも下駄を履かせてあげたいということか。

我が子を信じていないのは、親の私なのではないか?

机に向かう娘を見てそんなことも思ったりする。

本日のコラムでした。

 

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12月 17th, 2023 by