厳しいけど冷たくない、優しいけど甘くない 一番ダメなのは・・・


厳しいけど冷たくない、優しいけど甘くない

前職の外資系生保。自社の社風を表す言葉として良く使われていたフレーズで、今でも私自身の指針となっている。

特に我が子と接する時に、このことを肝に銘じている。

だがこれが難しい。

厳しさと冷たさ、優しさと甘さ。

その境界線はいつも曖昧だ。

子供に対する言動を振り返り、

「今のは冷たかったな」、「これは甘やかしているだけだな」

などと反省することが多い。

疲れていたり、虫の居所が悪かったり、そんな時にポロっと出てしまう冷たい一言、逆に、子供が親の期待通りのパフォーマンス(勉強やスポーツなど)を発揮した時に出る、優しさを超えた甘さ。

厳しくも優しい。

これが理想だが、なかなかどうして・・・・

例えば毎日やらないといけない課題があるとしよう。

我が家の場合、下の息子が「公文5枚」を毎日やることになっている。

調子が良ければ10分で終わるのだが、何かの拍子でヘソを曲げると、駄々をこねて一切やらない。

そのような時、静かに「やりなさい」と言い続け、やり遂げるまで見守るのが厳しさだろう。

しかし、言うことを聞かないことにイライラし、冷たい言葉で子供を攻撃してしまうことがある。

「そんなんだから〇〇なんだ!!」

敢えて恥をさらせば、私はこういう言葉を吐いてしまうことが多い。

〇〇は、直近の失敗だったり、本人のコンプレックスに由来するものだったり、それ自体、勉強をしないこととは何の関係もないのに、子供を「凹ませる」ためだけに振るわれた言葉の武器。

しかも、私は営業という「言葉の格闘技」の世界で生きてきた人間だ。

そんなプロが繰り出す一撃に、子供はぐうの音も出ない。

そして次の瞬間、自分の「冷たさ」にぞっとする。

「さっきは言い過ぎた。この父もまだ未熟。申し訳ない」

せめて子供に謝る。

当の本人は、言われたことを忘れたのか、それとも忘れたフリをしているのか、その真相は分からないものの、親の謝罪を受け入れサラッと水に流してくれる。

子供の器の何と大きいことか。

この大きな器は「厳しさ」、「冷たさ」、「優しさ」、「甘さ」を無条件で受け入れる。

謝ったからと言って「冷たさ」がなかったことになるわけではなく、それもこの器のどこかに入っているのだろう。

そして、それが人間性を形成していく。

厳しさと優しさ、その二つを最大要素にするべき。そう思う。

だが、それだけでは「遊び」のない人間になりそうな気もする・・・・

その点、「甘さ」は人間性にバニラのような、周囲をリラックスさせる香りをつけてくれる。

お金に困ったことがない鷹揚なお坊ちゃまに自然と人が集まるのは、甘やかされて育った人間が持つ特有の「匂い」があるからかもしれない。

その点、本当に要らないのは「冷たさ」だけか・・・

そう自戒しながら、日々、子供達と接している。

本日のコラムでした。

 

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2月 25th, 2024 by