コロナ生活で知った「ミニマム」の気楽さ


ふとしたきっかけなのだが、先日、自分自身の「ミニマム生活」のライフプランニング表を作ってみた。

きっかけはコロナ。

ほとんど飲みに出ず、家で自炊ばかり。

家族で旅行や外食をする機会もグンと減ったため、実際、毎月のカードの引き落としが減っている。

イメージで言うと半分くらいになったような印象。

「ああ、これくらいの出費でも生活していけるもんなんだな」

改めてそう思った。

「毎月おおよそ◯◯万円くらい使う」

どこの家でもそんな目安があるだろうが、私はこのようなラインを

コンフォートゾーン

と呼んでいる。



自分が快適(コンフォート)に生活出来るゾーンで、このラインの1.3倍程度を使った月には

「浪費し過ぎた」

と感じ、0.7倍程度だと、

「今月は倹約した」

と感じる人が多い。

例えば家庭の生活費が30万円の家庭で言えば、1.3倍は約40万円、0.7倍は約20万円にあたり、月によって波はあるものの、ほぼこの範囲に収まる。

不思議なもので、人間は意外とこれ以上の生活も、これ以下の生活も出来ない。

例えば急激に収入が上がった場合、一時期的な冒険心で良い生活を「経験」してみたとしても、数年も経てば、結局はコンフォートゾーンの生活に戻ることが多い。

ある意味では自分が持つ「価値観」とも言い換えられる。

そのような持論があるので、自分自身のゾーンからかなり外れた、それも下限を突破した生活(0.5~0.6倍)であるにも関わらず、それほどの不自由さを感じなかったことに驚いたわけだ。

ちなみにあらかじめ言っておくと、私は普段から金使いは荒くない。

着る物に頓着もないし、自分1人であれば昼飯など立ち食いそばか牛丼で十分。

しかし、以前なら夜の付き合いもあり、また年齢的に下の世代と飲みに行けば、その場の支払をすることも多かった。

前述の支出減はコロナでそれらが「ごそっと」無くなったためであり、ある意味では今の状態が真のコンフォートゾーンなのかもしれない。

「この状態でFPプランを組んでみるとどうなるのだろうか?」

そんな興味で計算をしてみたが、その結論は、

今の7割くらいの収入でもやっていける

というもの。

「お付き合い」というものが、いかに高額なものなのかが浮き彫りになった形だ。

収入が下がれば税金や社会保険も下がる。

そのため、額面の減少ほどには手取りは減らないので、意外となんとかなるという計算結果だった。

興に乗って、

・もし今の家を賃貸にまわして、地方の家賃の安い一軒家に越したら?

・大学など自分の力(奨学金)で行け!!と割り切ってみたら?

などなど、様々な条件を付けてエクセルをいじってみると、最終的には今の50%くらいでも「生きていける」という結果に。

私など、あらかじめ給与が決まっているわけでもなく「収入=労働時間」なのだから、収入50%は、つまりは週に2、3日も働けばよいということになる。



これは経営的な観点で言えば、「損益分岐点の把握」とも言える。

最低これ以上稼げば組織(この場合は家庭)を維持出来るという「下限」を知ることは重要で、どこの会社でもシミレーションしているのだが、個人のファイナンシャルプランニングにおいては

・いかに収入を増やすか?(もしくは維持するか)

・いかに資産や年金を増やすか?

という上限を伸ばす話が多く、下限を知るというアプローチはあまりしない。

しかし、今回、自身の最低ラインを知ることで、ある心理的効果を実感した。

それは、

肩の荷が降りた

ということ。

最低これくらい稼げば良いと知ることで、何とも気軽な気分になれる。

現代社会では「他人様より恥ずかしくない生活」をするために、皆が汲々としているが、時に何と比較されているのか、誰と競っているのか分からなくなることも多い。

その点、自分の中の下限さえ知っておけば、姿の見えない「誰か」ではなく、「最低限の自分」をライバルとすることが出来て、「それより上であれば良し」とも考えられる。

長年、FPの仕事をしているが、これはなかなか面白い発見で、これもコロナのお陰と言えなくもない。

本日のコラムでした。



 

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4月 18th, 2021 by