小山田圭吾謝罪文を関東土下座組が添削してみる


あいつまた怒られてるのか・・・・

28歳で外資系生保に転じたが、そこは軍隊並の縦社会。

新卒以来、ITベンチャーで6年弱の社会人経験。

しかも大学の延長線上のような「ゆるーい社風」の中で育った私は、それこそ挨拶の仕方から、言葉遣いなどありとあらゆることが、

なってない!!

と断罪され、先輩、上司から、まあよく怒られた。

ちなみに、同期、ちょっと先輩、ちょっと後輩なども似たようなもので、それらが入れ替わり立ち替わり、年がら年中怒鳴られているものだから、そんな我々を人はこう呼んだ。

関東土下座組

流石に本当に土下座をさせられたことはないが、正座は何度かあった。

注:今は違います。昔の話です。

で、厄介なのが反省文。

外資系なのだがら「アイムソーリー、ボス!!」の一言で済みそうなものなのだか、このあたりだけ純ジャパニーズ風で、やたらと反省文を書かせられる。

一応は神妙な顔をして書面を作るのだが、なんせホントは悪いと思っていない。

そのため、それらの文面から漂う「本心」を見抜かれ、結局は細かい点を指摘されながら、長時間のお説教を喰らう羽目になる。

だが、その時に教えられたこと。

つまり「謝罪とはかくあるべし」ということは、今となっては血肉となっている。

と、そんな関東土下座組の元構成員の私からすると、今ホットな小山田圭吾氏の謝罪文(全文はコチラ)は

間違いだらけ

である。

僭越ながら、それを添削しつつ、お読み頂いている方の「謝罪力向上」に寄与出来れば幸いだ。(謝罪文を書く機会も滅多にないだろうが・・・)

以下、氏の謝罪文だが、冒頭、関係各所への謝罪が続く。これらは定型文のようなものなので、特に何のコメントもない。そのため割愛した。

では本丸。なお、長文なので一部抜粋しながら解説していきたい。

「私の発言や行為によって傷付けてしまったクラスメイトやその親御さんには心から申し訳なく、本来は楽しい思い出を作るはずである学校生活において、良い友人にならず、それどころか傷付ける立場になってしまったことに、深い後悔と責任を感じております。」

はい、ここ。いきなり引っかかる。

謝罪においては、常に「目線は下から」が鉄則。

謝っているのだから、それが当然のはずだが、謝り慣れていない人は、ついつい「俺凄い感」を漂わせ、上から目線になってしまう。

「良い友人にならず」がダメ。

対義的に「悪い友人でした」と言っているつもりかもしれないが、そもそも友人ではない。ただの加害者であり、そこには「友人」というような絆も、関係性もない。

被害者側が求めるものは「関わらないで」ということであり、「良い友人」など求めていない。

また「傷付ける立場になってしまった」はもっとまずい。

まるで誰かにやらされていたような言い方で、責任転嫁の匂いがする。

このあたりに本音が出る。

では次。

「記事の内容につきましては(中略)事実と異なる内容も多く記載されておりますが

言い訳ドーン!!

謝罪において、冒頭謝り倒して、言葉がなくなってくると、それだけで「ある程度は許された」と勘違いし、中盤から「さあ、今度は俺の言い分」とばかりに言い訳を挟んでくるケースが多い。

だが、

言い訳は、相手から聞かれてから

これがルール。初回の謝罪文では一切言い訳は挟んではいけない。

ちなみに私もこれと同じことをやって、目の前で反省文をグシャグシャに丸められたことがあった・・・

「学生当時、私が傷付けてしまったご本人に対しましては、大変今更ではありますが、連絡を取れる手段を探し、受け入れてもらえるのであれば、直接謝罪をしたいと思っております。」

これはグット。

具体的な「行動」を示すことはとても良い。

是非、口だけでなくちゃんとやって欲しい。

 

「本来であれば、様々な理由から、私の参加にご不快になられる方がいらっしゃることを考慮し、依頼を辞退すべきだったのかもしれません。しかし(中略)、熟考した結果、自分の音楽が何か少しでもお力になれるのであればという思いから、ご依頼を受けるに至りました。」

はい、また出た「俺凄い感」

ことここに至っては、お力どころか足を引っ張っただけ。

「俺が参加すればプラスになると思ったんっすよ」と言いたい気持ちは分かるが、過去の話でしかなく、謝罪本筋に関係ない。余計な文脈。

 

「(中略)この度、様々なご指摘を頂いたことで、あらためて、自分自身の在り方について振り返り、反省と再考をさせて頂く機会を得ました。それにつきましては、ご意見をくださった皆様に、感謝すべきことだと感じております。」

これも良くない。

「は?お前に感謝されるために言ってんじゃねーんだよ!!」と逆効果。

また、この手の「むしろ感謝」は「俺、へこたれてねーから」というような強がりの雰囲気も出るので、可愛げがない。

「(中略)音楽家としてどう在るべきか、自分は世の中や周囲の人々に対して、どういったかたちで貢献していくことができるのか、常に自問自答し、より最善の判断をしていけるよう、一層の努力をして参りたいと思います。」

 

謝罪文において、ついついやってしまうのが「最後に明るい未来を語る」ということ。

気持ちは分かる。

頭を下げたことで一区切りつけて、さあ、これでチャラです。と言いたいわけだ。

それは相手が言うことであって、自分から言うことではない。

これも時期尚早。

謝罪文は最後まで暗くなくてはダメだ。

その点から言えば、貢献という単語は人によっては「上から」と感じなくもないし、今は許しを請うているのだから「これから貢献します!!」というような未来の話はいらない。

「どうすれば罪を償えるのか」の方が無難。

そして最後、「一層の努力は」つまりは「私は今までも努力してきましたよ」ということであり、実際そうなのだろうが、このタイミングでは余計。これも俺凄い感の悪例。

 

さて、揚げ足を取りはじめるとキリがないからこれくらいにしておくが、この謝罪文、私が28,29歳くらいの時に書いたような未熟さである。

昔、ある上司に言われたが、

最後の数行に本音が出る

だそうだ。

その方に怒られた時にも、最後数行に私の真意を感じ「お前、悪いと思ってないだろ?」と鋭く指摘されたが、まあ、小山田氏のこれも似たようなところがある。

だが、本当に反省するのはこれからかもしれない。

人を許さない日本社会では、これから数年、何をしても叩かれるだろう。(それが良いとは思っていないが・・・)

それこそ「イジメられる者」の気持ちが分かる。

もし可能なら、1年後に再提出して欲しい。

きっとそこには血が通った「本当の謝罪」があるはずだ。

本日のコラムでした。

 

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7月 22nd, 2021 by