ヒロスエ、キャンドル、トバが教えてくれること


ヒロスエ、キャンドル、トバが熱い。

これらの名前の「語感」は、何となく村上春樹の小説的でもある。

まあ、ドロドロしている。

だが、この3人。女優、アーティスト、料理人(&タレント)とどう考えてもカタギではない。

カタギではないのだから、カタギの常識を押し付けてもなぁ、という気もする。

話は変わるが、村上春樹のノルウェイの森でもとにかく登場人物たちがセックスしまくる。

最後に主人公とレイコ(自殺してしまった主人公の恋人を最後まで支えた中高年の女性)が交わるシーンでは、当時高校生の私は「マジか・・・」と絶句してしまった。

その無節操(文学的には高尚な表現なのだろうが)な世界観とも、今回の件は近い。

そうなると、ヒロスエとトバの恋は純愛と言えるのかもしれない。

ノルウェイの森でもお互いがやたらと手紙を書いていたが、ヒロスエもとにかく書きまくる。

そのように思ってしまってから、この件に関するどんなニュースを見ても「村上春樹の世界」であり、ゴシップ紙もネットニュースも、それを読む我々すら、この純愛を盛り上げるオーディエンスでしかない。

そして一方では爽快でもある。

昨今の日本では、池に落ちた犬にはとにかく石を投げつけ、投げすぎた石でその池すら埋め、そのまま墓石にしてしまうようなところがある。

昔からそうだ、と言えばそうなのかもしれないが、それでもネットの登場で石の量は爆発的に増えた。

だが、その程度の小石、彼ら、彼女らからすればまるで自分たちを照らすスポットライトのようなもので、全く意に返さない。

強い。

もちろんやっていること自体は褒められたことではないが、人間は褒められるために生きているわけでもないだろう。

周りの目を気にしてドロドロの願望を抱えたまま不自由に生きるより、自己の願望に従って生きた方が人生は絶対に楽しいだろうし、多くの人がそうなりたいと願いながら「こうでなくてはいけない」という自分のルールに縛られて生きている。

やりたいことをやれば良い。

よく子供に向けて言われる言葉だが、そう言っている大人たちが一番やりたいことをやっていないという矛盾。

もっとフリーに生きようぜ!!

あの3人がそう語りかけてくる。

何だか何を言いたいのか分からなくってきた。

今週は平日も休日も忙しかった。

週に一回、その週に学んだことや感じたことについて何かしらアウトプットを出す。

そう決めている。

だが、

「あっ、今週のブログまだ書いてないや・・・」

日曜日の夕飯。晩酌しながらそう気づいてしまった。

今週を振り返ったがヒロスエ、キャンドル、トバの3人しか出てこなかった。

「別に良いじゃん。書きたくなかったら書かなくても」

3人の誰がかそう言った。

だが、それでもほろ酔い気分でパソコンに向かう。

この私も自分のルールで自分を縛っている不自由な人間だ。

ああ、ヒロスエに会いたい。

そしてあんな熱い手紙を受け取ってみたい。

横では嫁さんがテレビを見て大爆笑をしている。

本日のコラムでした。

 

 

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7月 2nd, 2023 by